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水月庵

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月の夜 4

后になってからも小野王の酒癖は治らず、彼は決して賢后とはいえなかった。例えばこんなことがあった。ある宴席にて瓜が饗されたのだが、その皮を剥くための刀子がなかった。そこで弘計は后に命じて私の元へ刀子を持ってこさせたのだが、すでに酔っていた小野王は立ったまま無造作にどん、と刀子を置いた。それだけならばまだいい。ますます酔った彼は、酒が切れたと言ってあろうことか日嗣たる私に酒を持ってこさせたりと、狼藉の限りを尽くしたのである。当然腹は立った。だが、どんなことをしても不思議と許してしまうような妙な愛嬌を持っているのもまた、彼であった。
 そして、気性の激しい弘計大王を時に宥め、時に諌め、彼を賢君たらしめているのも他ならぬ小野王であることは、私のみならず百官もよく理解していた。だからこそ、私も含め、民は皆、素行が悪くしかも子も生さぬ后を敬して奉るよりほかなかったのである。



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月の夜 3

表向きは平穏な日々を数年過ごした後、時の大王、白香様が崩御された。白香様は、我々の父を殺した幼武大王の息子だ。だが同時に、我々を見いだしてくれた恩人でもあり、何より彼自身、幼武大王に滅ぼされた氏族の娘を母に持つ身である。妻も持たず、子も持たず、粛々とひたすらに政務を執られていた白香様。度々お話しする機会はあったものの、実際彼がどういう人だったのか、その心のうちは最後まで私にはわからなかった。だが、幼武大王のように派手な実績はなくとも彼は立派な大王だった。私は王子として、心からの敬意とともに恩人を見送った。
 白香大王の殯宮で、私は久しぶりに弘計と向き合った。喪に服すため私と同様白一色の衣に身を包んだ弟は、どこか神さびて見えた。



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月の夜 2

そのまま、数年が過ぎた。この邸へ来てすぐのときは幼い童だった弟も、細く引き締まった身体と涼しげな目元が特徴的な少年へと成長していた。弟の成長はもちろん喜ぶべきことのはずである。それから、この数年で私達の待遇も随分と改善されていた。仕事は相変わらず辛かったが、鞭打たれることはなくなった。それに、充てがわれる部屋も、母屋のこざっぱりとした部屋に変わった。それも、喜ぶべきことのはずだ。だが、私はそれらを手放しで喜ぶことはできなかった。
 子供らしい甘やかさが削ぎ落とされ、日に日に美しくなる弟。弟は最近、牛馬の世話などといった仕事に従事することはなく、いつも小綺麗な衣装を纏うようになった。時には腕輪や首飾りなど、装飾品を身につけることすらあった。そんな弟を、使用人達もどこか一目置いた態度で遇した。
 そのことを、やはり名乗りはせずとも身の内からにじみ出る高貴な生まれの為せる技か、などと考えるほど、私は愚かではない。



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月の夜 1

時代はぐっと遡って億計王(おけのみこ)と弘計王(をけのみこ)兄弟(顕宗仁賢兄弟)の話。億計がブラコンこじらせてたり、弘計が老若男女全部いけるスーパーマンになってたり、后が男だったり、例によって例のごとく暴走気味。

 見上げれば、空には冷たく輝く月。こんな夜は、否が応でもあの日を思い出す。
 儚い月の光など掻き消すように眩く輝く篝火。その光の中で、鮮やかに舞ってみせたおまえ。牛飼いの粗末な服も、おまえが纏って舞えば、絢爛たる舞姫の衣装にも勝って見えた。踏み出した足、翻る手。おまえの一挙一動を、その場にいた誰もが息を呑んで見守った。私も、例外ではなかった。食い入るように自身を見つめる皆の視線を受けて、おまえはやがて、意を決したようにその豊かな声で歌を詠んだ。



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忠臣になりそこねた男

草壁と不比等のニアホモです。
淡海帝=天智、浄御原帝=天武だよ!

 あの人は誰よりも優しく聡明で、そして残酷だった。

 あの人は宮中に出仕するときはいつも、黒作りの刀を佩いていた。白皙の優しげな顔立ちの彼には些か不似合いなその刀を見ていると、私の考えていたことを見透かしたようにあの人は笑った。
「似合わないだろ? でもまあ、こういうものを持っておけば少しは勇ましく見えるかなと思ってさ」
 彼は草壁皇子。
 現人神と崇められる浄御原帝を父に、その正妃である讚良皇女を母に持ち、並みいる皇子達の頂点に君臨する方である。
 同時に、何の後見も持たぬ私を引き立ててくださった恩人でもある。

 私は、権力が欲しかった。
 私の父は淡海帝の無二の忠臣であった藤原鎌足である。その淡海帝の後継者である大友皇子を破って即位した浄御原帝が治めるこの国で私が生き残るためには、強力な後ろ盾を得て権力の座に着くしかなかったからだ。
 草壁様に近づいたのは、身も蓋もない言い方をすれば、打算だった。
 文武両道に優れ、何かと目立つ大津皇子よりも、大人しい彼のほうが御しやすいだろうと踏んでのことだった。
 だが舎人として彼に侍するようになってから、それは間違いだったと気づいた。



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