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水月庵

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麗しき紅梅の君

古人→入鹿

「きゃーっっ、古人さまよっ!」

蘇我邸に、侍女達の黄色い声が響き渡る。

すらりとした長身。
やや垂れ気味だが、涼やかな目元に、形の良い唇。
偶然なのか計算なのか、冠から一筋零れ出た黒髪。
漂う甘い香りは彼の人が手にした梅が枝のものかそれとも彼自身のものか。

手折った梅の花を手に蘇我邸を訪れた古人大兄皇子は、いかにも女人の好みそうな色男、イケてるメンズ、すなわちイケメンであった。

古人は、うっとりと自分を見つめる侍女達に微笑みかける。

「やあ、僕の可愛い小鳥ちゃんたち」

不細工な、いや普通の男が口にしたならば、全身に鳥肌が立ち、瞬時に5、6メートルは引いてしまいそうな台詞である。
が、この男が言うと侍女たちの歓声はさらに大きくなるのだから不思議だ。



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愛している

山背→入鹿

山背大兄王は大きなため息をついた。
手にはある書物を持っている。
偉大だった父、聖徳太子が作った十七条憲法だ。
ーー和を以て貴しとなす、か。
その内容に目を通しながら、山背はまたため息をついた。
そう、父がこれを作った時はまだよかった。
まだ自分が子供だったせいで、大人の思惑が分からなかっただけなのかもしれないが、
でもあのときはまだ蘇我氏と、この上宮王家の関係は上手くいっていたように思える。

…なのに。
一体いつからこんなに対立するようになったのだろう。
血縁も深い蘇我氏と上宮王家なのに、いつの間にこんなにも隔たってしまったのだろう。
あくまでも父、聖徳太子の天皇を中心とする国家をつくるという指針を貫き通そうとする上宮王家と。
皇室と婚姻関係を結び、自らの意のままになる天皇をたて、朝廷の実権を掌握しようとする蘇我氏と、それに甘んずる現皇室。
蘇我氏と上宮王家…ひいては現皇室と上宮王家は、もはや相容れることはないのかもしれない。
…正直そこまで嫌われるようなことをした覚えもないのだが。



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ライバル、あるいは

くそ面白くもねぇ。
中臣鎌足は心の中でそう悪態を吐きつつ、そこら辺にあった石を蹴りあげた。
ったく、何なんだよ旻の奴。

あれは、つい先程のことだ。
「私の塾に蘇我入鹿ほど優秀な生徒はいない」
と、鎌足の師である僧・旻は言ったのだ。
なめやがって。
鎌足はまた心の中で悪態をついた。
たとえ身分は低かろうが、頭の良さでは良家の子息になんぞ負けたことはなかった。
この塾に来ても、勿論トップになる自信はあった。
なのに、よりにもよって蘇我入鹿に負けてるだと?!
あの、日本一の良家のボンボンなんぞに。
絶対嘘だ、嘘に決まってる。
旻はちょっと蘇我氏にへつらってるだけに決まってる。
ああ、何かムカついてきた。
というか、蘇我入鹿ってどんな奴なんだろう。
旻は唐から帰国したばかりなので、この塾が開かれたのも最近のことだ。
だから鎌足が通い始めたのも、勿論最近な訳で。
鎌足はまだ蘇我入鹿に会ったことがない。
知ってることといえば、大臣である蘇我毛人の嫡男で、今年22歳になることくらいだ。
はっ、どうせ変な奴に決まってる!
顔とかこんなで、性格とかも、まるで三流悪役みたいな感じで…。絶対足も超短いはずだ。
鎌足は頭の中に、自分が思い付く限りのマイナス要素を詰め込んだ男を想像してみた。
ふははっ、やな奴。
いや、やな奴はお前だ、鎌足。
そんなツッコミが聞こえたような気がしたが、気のせいだろう。



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ある雪の日

山背×入鹿

山背は寺の門の前で馬を止めた。
そして鞍から降り、馬を繋ぐ。
珍しく雪が積もったせいで、地に足をつく時にさく、と音がした。
身体についた雪を払いつつ、彼は建設途上の寺の境内へ足を踏み入れる。
ここは岡本宮。亡き父厩戸皇子がかつて法華経の講義を行っていた場所だ。
その父の、岡本宮を寺へ改築せよという遺言を守ろうと寺を発願したのだが、工事はまだ終わらない。
やっと塔がひとつ建ったところだ。
建ったばかりの真新しい塔を横目に見ながら、山背は境内を進む。

ふと、山背の歩が止まる。
さく、さくと自分以外の足音。
今日はこの雪のせいで工事は中止のはず。
この宮には今、自分以外誰もいないはずだ。
物音は、あの木の向こうからである。
山背は無意識のうちに腰の太刀に手をやった。
そして、叫ぶ。
「誰だ!」



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涙の場所

山背+入鹿

「あ、いた」
後ろから、まだ声変わりをしていない少年の声がした。
「誰だ」
その声の主が誰なのか大体見当は付いているものの、山背大兄王はそう誰何の声をあげた。
「俺だよ、俺」
「『俺』じゃ分からんだろ」
山背はそう言いながら面倒くさそうに後ろを振り返った。
やっぱり…。山背はため息をついた。
「一体どうしたんだ、入鹿。
 生憎と今の私にはおまえの相手をするような余裕はないんだが」
少年は案の定、山背の10歳年下で今年12歳である従弟の蘇我入鹿だった。
彼は時の権力者である大臣、蘇我馬子の孫にもあたる。



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