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水月庵

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ある雪の日

山背×入鹿

山背は寺の門の前で馬を止めた。
そして鞍から降り、馬を繋ぐ。
珍しく雪が積もったせいで、地に足をつく時にさく、と音がした。
身体についた雪を払いつつ、彼は建設途上の寺の境内へ足を踏み入れる。
ここは岡本宮。亡き父厩戸皇子がかつて法華経の講義を行っていた場所だ。
その父の、岡本宮を寺へ改築せよという遺言を守ろうと寺を発願したのだが、工事はまだ終わらない。
やっと塔がひとつ建ったところだ。
建ったばかりの真新しい塔を横目に見ながら、山背は境内を進む。

ふと、山背の歩が止まる。
さく、さくと自分以外の足音。
今日はこの雪のせいで工事は中止のはず。
この宮には今、自分以外誰もいないはずだ。
物音は、あの木の向こうからである。
山背は無意識のうちに腰の太刀に手をやった。
そして、叫ぶ。
「誰だ!」






「え? 俺だけど」
山背の鋭い誰何の声に答えたのは、何とも緊張感のない男の声だった。
やや掠れ気味の、最近ようやっと聞き慣れたその声。
「……何をやってる」
山背は一気に身体から力が抜けてゆくのを感じながら、溜め息とともに言った。
男は大きな雪玉を作っていた。
その手を休め、男はにこりと山背に笑いかける。
「見りゃわかるだろ。雪だるま。
 雪だるま作ってた」
山背はまた溜め息をついた。
全く……。
この男、蘇我入鹿は当代並ぶ者なしとも謳われる秀才で。
甲高かった声も、少し前に変声期を迎え今ではすっかりその落ち着いた大人のそれになっている。
彼はもうすっかり落ち着いた大人の男だと世間でも評判だ。
それなのに。
相変わらず笑うと少年みたいだし、大体何故仮にも政敵という立場にある山背大兄王ゆかりの寺で雪だるまなんぞを作っているのだ。

「なあ、折角来たんなら手伝ってくれよ。
 あとはこの頭を胴体の上に乗せるだけなんだ」
入鹿が山背の袖を掴む。
「断る。何で私がおまえの雪だるまづくりなんかに協力しなければならない?
 大体おまえだってもういい大人だろう、そういう訳の分からんことはやめろ」
仏頂面の山背から吐き出された正論に、入鹿がぺろりと舌を出す。
その仕草に山背は、はあ、と本日三度目の溜め息をついた。
「……そういうところも、子供っぽいと言っているんだ」
山背が言う。
「でも、ちょっと可愛いって思っただろ?」
そう言って、入鹿は悪戯っぽく笑った。
山背はそんな入鹿からそっと目をそらす。
「……別に。全然」
山背の言葉に入鹿がますます笑みを深くする。
「幼馴染みを侮るなよ。分かってるんだ、俺は。あんたの『別に』は肯定だ」
自信満々にそう言う入鹿を、山背はちらりと一瞥した。
……決まりが悪い。
山背はすぐに入鹿から目を離すと、彼の側にある二つの雪玉のうち、やや小さめのほうに手をかけた。
「……山背?」
怪訝そうな入鹿の声。
その声に山背はぶっきらぼうに答えた。
「作るんだろう、雪だるま。ならとっととやるぞ。ほら早くそっちを持て」

かくして、建設途上の寺に仏像よりも早く雪だるまが安置されてしまった。
その雪だるまを、入鹿は満足げに見つめている。
「ところで、何でここにおまえがいるんだ」
山背が本当ならば一番最初にしなければならなかった問いを投げかける。
それに答えるため、入鹿は雪だるまから視線を外し山背の隣へやってきた。
「あんたに会えるんじゃないかな、と思ってさ。
 俺が小さい時、よくここで遊んでもらったろ?
 ほら当時は、遊んでたら講堂から微かに厩戸皇子さまが講義をする声が聞こえてきてさ……。
 何か、それがふと懐かしくなって」
そう言って笑う入鹿の手に、山背の指先が触れる。
その手の予想以上の山背は冷たさに危うく飛び上がりそうになる。
この男はずっと雪を触っていたのだ。無理もない。
山背はその手を握り、建物のほうへと歩を進めた。
「山背?」
山背に引き摺られる格好となった入鹿が困惑気味に声を上げる。
「いいから来い。火を熾してやる」
前を向いたまま山背は言った。
後ろで入鹿が嬉しそうに顔を輝かせたのが気配で分かる。
「言っておくが」
歩きながら、山背は再び口を開いた。
「言っておくが、別におまえのためじゃない。私が寒いだけだ」
素直でないその言葉に入鹿はくすりと笑う。
そして、言う。
「なあ山背。俺やっぱあんたのこと好きだな」
「いきなり何を……」
「だからさ、たとえ……」
入鹿は山背の背中に囁いた。

それから一刻後。
宮の中は充分に暖まり、疲れが溜まっていたのか入鹿は横になって寝てしまっている。
その寝顔を見ながら、山背は先程の入鹿の言葉を反芻していた。

彼はこう言ったのだ。

だから、たとえ俺らが殺し合うようなことになったとしても。
それでも俺はきっと、山背、あんたが好きだって気持ち、抱き続けてるよ。

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