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水月庵

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ナイルの雫 第3章−2

「へー、おまえ俺のこと好きなんだ」

突如聞こえた第3者の声に、ジェセルとキアンは同時に出入り口のほうを振り返った。

「あ……アイリ?!
 何でここに」

思わずジェセルの声が裏返る。
そんなジェセルの言葉をアイリは鼻で笑った。

「アホかおまえ。
 王妃が王の部屋に来て何が悪い。
 衛兵もノーマークだったぞ」

「なるほどそれで今日は女装なわけね」
キアンが言う。

「ああ、まあそのほうが手っ取り早いからな」

女装したアイリはどこからどう見ても完璧な美貌の王妃だ。

「じゃ俺、消えるわ。お邪魔だろうし」

にかっと笑ってキアンは出ていった。

「え……おいキアン!」
ジェセルは引き止めようとしたが遅かった。
すでにキアンは影も形もない。

「俺宛にヒッタイトへ来いっていう書簡が来たのは、さっき聞いた」
アイリは話を切り出した。

ジェセルはアイリに顔を向ける。

本当に、彼は非の打ち所のない美形だ。
最初は、その美しさに一目惚れした。

けれど、今は。


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ナイルの雫 第3章−1

「すげぇ……」

朝起きてすぐ、窓の外を見たアイリは思わず呟いた。

辺り一面が、水に浸かっている。
昨日までは確かに陸地があったのに。

昨日までは確かに地平線から顔を覗かせていた太陽が、今日は水平線からお出ましだ。
今昇ってきたばかりの太陽が放つ光が、水面に反射してキラキラしている。

朝らしい柔らかい眩しさに、アイリは僅かに目を細めた。

が、その紫の瞳はすぐに見開かれることになる。

突如、肩にずっしりとした重みを感じたからである。

「ちょっ……何だよ」
やや不機嫌な声でそう言っても、重みは一向になくならない。

「よかったー……」
アイリに寄り掛かっている重い物体は、本当に嬉しそうな口調でそう呟いた。

アイリは外から視線を外し、その物体に目を向けた。

物体は、ジェセルだった。
どうも今日はアイリの手を煩わせることなく一人で起きたらしい。
感心なことだ。

「で? よかったって何が」
アイリが聞くと、ジェセルは心底嬉しそうな様子で話し始めた。

「ほら、エジプトはナイルの賜物だから」
だから今年もちゃんとナイル川が増水してよかった、とジェセルは言った。

その言葉にアイリも、ああ、と微笑んだ。
ナイル川は毎年、決まった時期に氾濫する。
その増水した水が、上流から肥沃な土を運んできてくれ、今年も豊かな実りが約束されるのだ。



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ナイルの雫 第2章−2

「つ……疲れた」
アイリは呻いた。

「大体、婚儀が一ヶ月近くかかるなんて聞いてねーよ……」

ぐったりと長椅子に寄りかかりながら、アイリは呟いた。

そう、婚儀は一ヶ月近く続いた。

まずはテーベのアメン神殿。

他、上エジプトの神殿をいくつか回ったあとで、
今度は船でナイルを下って下エジプトに連れて行かれた。
そこでも神殿巡りだ。

そして、その合間には宴が催された。

無論、その間はずっと女装していなければならない。

テーベの宮殿に帰ってきたのは、ついさっきだ。



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ナイルの雫 第2章−1

「ぎょぉえぇええぇぇ??!!」

キアンは叫んだ。
目は真ん丸、口は今や顔の総面積の半分以上を占めるほどに大きく開かれている。
せっかくの男前が台無しだ。

「ちょっ……ジェセル!
 マジで?」
ひとしきり叫んだあと、キアンは馴れ馴れしくも王を通称で呼んだ。

その無礼な行為を、当のジェセルカラー……ジェセルも気にしている様子はない。
二人は幼馴染みで、ジェセルにとってキアンは兄のような存在なのである。

「キアン! 声が大きい」
ジェセルは慌ててキアンの口を塞いだ。
無論、手で。

「で……でかくもなるだろうが!
 マジで、あの別嬪な皇女は……?」
キアンの言葉に、ジェセルは渋い顔で頷いた。

「はっ……はは……あははははは」
キアンは力なく笑った。

「オ……オリエント一の美女が、男……」

言葉が出てこない。
もう、笑うしかない。

そんな言葉は、まさしくこのような時に使うのだろう。

ジェセルより、いくつか年上に見える、ヒッタイトの皇女。
その美貌はオリエント一と謳われていた。
が、大抵そんな噂は当てにならない。
ジェセルもキアンも、正直そこまで期待していなかった。

けれども、あの皇女は。
噂に違わず、いや、噂以上だった。

キアンも、幼馴染みの婚約者でなければ自分が欲しいくらいだと思ったほどだ。


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ナイルの雫 第1章

「あちー…輿しんどいー……」
砂漠を行く花嫁行列の主は、その華やかな輿の中で呟いた。

「ア……アイリさま、皆に聞こえますわ」
その横を馬に乗って伴をしているテオは小声で主を諌めた。
彼女は花嫁--アイリの乳兄妹である。

それにしても、と語調を改めてアイリは言う。
「……どうしよう?」

その言葉を聞いて、テオもため息をつく。
「ホント、どうしましょう?」

アイリはヒッタイト帝国の第一皇女である。
彼女はこの度、故国と肩を並べる大国、エジプトのジェセルカラー王に嫁ぐことになった。
両国の同盟のためだ。

だが。

「もし俺がエジプトになんか行けば、同盟どころか戦争になっちまう」
アイリは眉をしかめた。
そして、俯く。

その拍子に、アイリの柔らかい茶色の髪が頬にかかる。
その髪の艶やかさといい、肌のすべらかさといい。
また、長い睫毛に縁取られた瞳は世にも珍しい紫色だ。
そして、すっと通った細い鼻梁の下には薄く形の良い唇がある。

アイリは故国ヒッタイトでも帝国一と謳われた美貌の皇女だ。
ただ、その美貌の皇女は……実は皇女ではないのだ。

「だってさ」
アイリは言う。
その声は、かすれているし女にしては低いのだが、しかしギリギリ女で通るだろう。

だが。

アイリはけろっと言った。

「俺、男だし」

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