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水月庵

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山背×入鹿

「あなた、山背さま」
 苛ついた様子の女の声。声の主は、私の異母妹であり妻でもある舂米(つきしね)だ。
 脇息に凭れ掛かって外の景色を見るとはなしに見ていた私は、身を起こし、のろのろと妻に向き直った。
「山背さま、どうかご決断を。
 境部磨理勢どのは今、我が弟、泊瀬の邸へ立てこもっております。
 もはや一刻の猶予もありません」
 艶やかな黒髪を一分の隙もなく結い上げ、背筋をピンと伸ばして座る妻は、そう言ってまっすぐに私を見据える。
「おまえは私に謀反人になれと言うのか……」
 力なくそう呟いた私は、妻の目にはさぞ腑抜けに映っていることだろう。






 私が二十八になったこの年、長年に渡り国を支えてきた老女帝が死の床についた。摂政であり、日嗣王子だった父、厩戸皇子も数年前に身罷っている。
 朝廷では今、女帝の後を継ぐのは誰が相応しいかと侃々諤々の会議が行われている、いや、いた。
 有力な候補は二人。
 すなわち、訳語田大王(おさだのおおきみ)の孫である田村皇子と、厩戸皇子の子であるこの私、山背だ。
 しかし、この会議は、大臣蘇我蝦夷どのが田村皇子を推したことで決着がついたはずだった。
 が、それを良しとしなかったのが、妻の弟(つまり私の異母弟でもあるわけだが)の泊瀬と、蘇我氏の分家である境部磨理勢(さかいべのまりせ)どのだった。
 あろうことか、磨理勢どのは軍勢を率いて泊瀬の邸に立てこもったのだ。

「謀反人だなどと、とんでもありません。
 大臣はどうかしておられる。
 玉座に登るのは、山背さま、あなたしかおりますまい。
 聖者と讃えられた厩戸皇子の嫡子である、あなたしか」
 さも当然、とでもいうように妻は言う。

「力づくで帝位を奪うなど、それこそ聖者の子の行いではない。
 それに、磨理勢どのが蘇我本宗家に勝てるとも思えぬ」
「確かに、馬子どのが存命であったならばそうかもしれません。
 しかし今、本宗家を率いるのは馬子どのの息子の蝦夷どの。
 あの者に馬子どの程の器量があるとは思えませぬ」
 妻の言葉に、私は思わず笑ってしまった。妻がむっとした顔をする。
「悪い。おまえを茶化したわけではないのだ。
 確かにおまえの言う通り、馬子どのに比べて蝦夷どのは些か大人しい。
 だがその息子の入鹿は下手をすれば馬子どのすら凌ぐほどの才覚を持っているぞ」
 私がそう言うと、今度は妻が笑った。
「何を仰るかと思えば。あなたは昔から、あの子がお気に入りですものね」
 妻の言葉に、内心どきりとする。まあ、妻に他意はないのだろうが。
「でもまだ二十歳にもならぬあの子に何ができるというのです?」
 おまえは分かっていないな、舂米。
 可愛い顔をしたあいつは、大陸の学者も舌を巻くほどの秀才で、しかも祖父馬子から優秀な政治家としての素質を余すことなく受け継いでいる。

 ともかく、あなたは大王の位を勝ち取るべきだ、田村皇子と蘇我本宗家を蹴散らして、と妻は言い募る。
 そんな彼女に適当に相槌を打っていると、采女が、客人がお見えです、と遠慮がちに声をかけてきた。
「このようなときに、一体誰です」
 苛立った声で妻が采女を詰問する。
 哀れな采女は、声を震わせながら客の名を告げた。
「そ、蘇我入鹿さまです……」
 妻の顔が一層険しくなる。



「突然の訪問、ご無礼をお許しください。
 山背大兄王さまにどうしてもお聞きいただきたいことがあり、参上しました」
 そう言って、入鹿が上座に座る私達夫妻に頭を下げる。
 口が悪くて、どうにも私に敬語を使ってくれなかった従弟どのももう十八。どうやら卒なく敬語を使えるようになったらしい。
 顔を上げた入鹿は、人払いを、と乞うた。

「わかった。皆、下がっていろ」
 私の声に、采女がしずしずと部屋を後にする。
 入鹿は、遠慮がちに私の隣に座る舂米に目を向けた。
 その意図を察して、私は妻に言った。
「舂米、おまえもだ。下がっていなさい」
 妻は入鹿を睨みつけた。
「わたくしには言えぬ話ですか、入鹿どの」
 入鹿は困ったようにその大きな目を伏せた。
「申し訳ありませんが……」
 どうやら入鹿は気の強い女は苦手らしい。いや、それだけではないか。仮にも舂米は私の『妻』だ。
「余計なことを吹き込むと、承知しませんことよ、入鹿どの」
 忌々しげに入鹿を一瞥して、妻は部屋を後にした。

「あんたの好みが分からん」
 舂米が姿を消したのを見届けると、入鹿から肩の力が抜け、いつものくだけた雰囲気になる。
 髪を結って冠を付けた入鹿からは、大人の格好をしていてもまだ少しだけ少年の幼さが伺えた。
「どうしてだ、分かりやすいだろう? 気が強いのが好きだ」
 おまえも含めてな。
「そうか……って、俺は別にあんたの好みを聞きにきたわけじゃなくてだな。その……」
 いつになく、入鹿は歯切れが悪い。
 尤も、彼の用件はおおよそ見当はついているが。
「磨理勢どのと泊瀬のことだろう」
 私が言うと、入鹿は頷いた。
「その二人をあんたに、説得してほしい」

「私を大王にしようと奮闘している二人を、か」
「……それが無駄骨なのは、あんただって分かってるはずだ」
「おまえがそれを私に言いにきたのは、大臣の差し金か?
 おまえの頼みなら、私が断れないと踏んで」
 私の言葉に、入鹿は首を横に振った。
「違う。親父は多分……あんたがあの二人と組んで乱でも起こすのを望んでる。
 そしたら一気に片がつくだろ」
 入鹿が眉根をぎゅっと寄せる。そして、言い募る。
「でも俺はそんなのは嫌だ!
 あんたが二人を説得して乱を未然に防げば、親父だってあんたに手出しはできないはずだ。
 酷なことを言ってるのは分かってる、だけど……」
 入鹿が私に近づき、縋り付くように胸元に手を伸ばした。琥珀を思わせる淡い色の目が、私を見つめる。
「お願いだ、山背」
 懇願する入鹿を抱き寄せて、私は目を閉じた。

 入鹿。さすがにおまえは飛鳥一の秀才だな。
 どうすれば私が動くか、よく分かっている。
 妻よりも、ずっと。

「断る、と言ったら?」
 目を開け、からかうように言った私に、腕の中の入鹿は少し悩んでから言った。
「俺も一緒に反乱を起こす。一緒に死んでみるのもいいかもな」

 私は笑った。本当に、おまえにはかなわない。
「わかった。おまえの言う通りにしてやる。
 磨理勢どのは自分の邸へ戻るよう、話をつけよう」
「いいのか、本当に」
 不安げに問う入鹿に、私は頷いた。

 頭の良い入鹿は、全て分かった上で私に『お願い』に来たのだ。
 私がすべきことは『説得』ではない。何よりも私の登極を望んだあの二人を、他ならぬ私が裏切り、切り捨て、蘇我本宗家に売ること。
 磨理勢どのと泊瀬は、私に裏切られて死ぬ。私が、殺すのだ。

「いいよ。可愛いおまえのお願いだ。聞かぬわけにはいかないだろ?」
 そう言って笑ってやれば、入鹿は一層強く私に抱きついた。
「ごめんな、山背」
 私は入鹿の額に口づけた。

 帝位も弟も忠臣も捨てる私を、妻は許さないだろう。
 だが私は、この従弟のお願いには逆らえない。
 入鹿は自分ばかりが私を好きだと思っている節があるが、それは違う。まあ、そう思わせておいたほうが可愛いから敢えて訂正はしないが。

「泊瀬の邸へは明日行く。今日は泊まっていくだろう?」
 私がそう言うと、入鹿は最初のほうこそ、でも舂米さまが、等とごにょごにょ言っていたが、結局頷いた。

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