2015/09/23 Category : 古代史 古想ほゆ 鎌足→入鹿葛城皇子、もとい、既に即位しているので天智天皇と呼ぶべきかー、は、ふと目を通していた木簡から顔を上げた。そして、腹心の部下の名を呼ぶ。「…鎌足」が、それに答える声はない。「今日は鎌足どのは来ておられませんよ、父上」代わりに聞こえたのは、はきはきとした若い男の声だった。葛城の息子、大友皇子の声だ。言われて、葛城ははたと気付く。そして、くすりと笑った。「どうなさいました、父上」大友はそんな父に、不思議そうに問う。「…いや、すっかり忘れていたのだ。 今日が乙巳の変の日だということを」「ああ、そういえば、そうでしたね」「私ももう年かな。 乙巳の変の日を忘れていたなんてな」葛城がそう言うと、大友が必死になって反論する。「そ…そんなことありません! 相変わらず父上はお美しくて、ご聡明でいらっしゃいます!」必死になってそう言う大友の、自分とよく似た白皙を見て葛城は再びくすりと笑う。「おまえ、いくつになった?」「…え? 二十歳に相成りましたが」「そうか。 乙巳の変の時の私と同い年だな」言われて、大友は軽く目を伏せた。「父上は今の私と同い年の時にすでに国を動かしておられたのに、私は未だ何もできず…。 お恥ずかしい限りです」大友はそう言って項垂れた。「いや、そんなことを言いたかったのではないが…」言いながら、葛城は木簡を机の端へ追いやった。「鎌足がいないと、仕事が全然はかどらぬ」 一方、それと同じころ鎌足は飛鳥の甘樫丘にいた。甘樫丘は、元々蘇我入鹿の屋敷があったところである。が、今はもう跡形もない。「俺らが、燃やしたんだがな…」鎌足はぽつりと呟く。「なあ」鎌足は語りかける。まるで、そこにかの蘇我入鹿が存在するかのように。「さすがにこの年になって、近江から飛鳥まで馬で来るのはきつかったよ。 が、毎年来てるからな。 …ま、あなたは俺が来ることなんか望んでないだろうが」鎌足は苦笑しつつ、いるはずもない人に話しかける。二十数年前、鎌足自身が殺した、入鹿に向かって。「なあ、入鹿さま。 乙巳の変からこっち、俺らはこの国を変えるべく頑張ってきたつもりなんだけどさ。 今の倭は、あなたの目にはどう映ってる? まずまず、といったところか? …なんて、俺が聞くなよって思うかもしれないが、な」言いながら、鎌足は甘樫丘から飛鳥の町並みを眺める。「…いい景色だな。 本当に、あなたが好きそうな景色だ。 今の都は近江にあるんだが、そこも湖の見渡せるいいところだぞ。 そこも開放的で、結構あなたが好みそうだ」語りかけていると、あたかもそこにかの人がいるようで。だが、手を伸ばしてもその手には何も触れない。「…入鹿さま。 俺があなたのところに行くのも、そう遠い日ではないかもしれない。 何つっても、俺ももう五十路だからな。 最近、仕事しててもやたらと身体がだるかったり重かったりするし。 極楽だか地獄だかで再会したら、あなたはどんな反応をするんだろうな? 笑って迎えてくれるか?…いや、それはないか。 じゃあぶん殴るか? それとも刺すか? …それとも」鎌足はそこで一旦言葉を切り、もう一度丘を見渡した。もうここには、入鹿が生きていた痕跡などないに等しいのに、何故か彼が近くにいるような気がする。二十数年も前に亡くなった彼の姿が、鎌足の頭の中で鮮やかに蘇る。やや癖のある柔らかい髪に、男にしては大きな瞳。それでも、口許にいつも浮かんでいる自信に満ちた笑みのせいか、ちっとも女々しくは見えない、入鹿の姿。「俺がそっちに行ってたらさ。 殴ってもいい。蹴ってもいい。 何なら刺してもいいし、燃やしてもいいぞ? ただ……無視だけは、しないでほしい」好きだったんだからな。あなたはちっとも振り向きゃしなかったが。鎌足は心の中で呟いた。鎌足は、微動だにせずに甘樫丘からの飛鳥の景色を見ていた。が、しばらくしてそこら辺の木に括りつけてあった馬を引き出すと、馬に跨がって丘を下っていった。これから近江まで帰らなければならないのを、少々面倒くさく感じながら。 [1回]PR Comment0 Comment Comment Form お名前name タイトルtitle メールアドレスmail address URLurl コメントcomment パスワードpassword