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水月庵

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ナイルの雫 第3章−2

「へー、おまえ俺のこと好きなんだ」

突如聞こえた第3者の声に、ジェセルとキアンは同時に出入り口のほうを振り返った。

「あ……アイリ?!
 何でここに」

思わずジェセルの声が裏返る。
そんなジェセルの言葉をアイリは鼻で笑った。

「アホかおまえ。
 王妃が王の部屋に来て何が悪い。
 衛兵もノーマークだったぞ」

「なるほどそれで今日は女装なわけね」
キアンが言う。

「ああ、まあそのほうが手っ取り早いからな」

女装したアイリはどこからどう見ても完璧な美貌の王妃だ。

「じゃ俺、消えるわ。お邪魔だろうし」

にかっと笑ってキアンは出ていった。

「え……おいキアン!」
ジェセルは引き止めようとしたが遅かった。
すでにキアンは影も形もない。

「俺宛にヒッタイトへ来いっていう書簡が来たのは、さっき聞いた」
アイリは話を切り出した。

ジェセルはアイリに顔を向ける。

本当に、彼は非の打ち所のない美形だ。
最初は、その美しさに一目惚れした。

けれど、今は。



けれど、今はそれだけではない。
何だかんだ言って毎日叩き起こしてくれる、情細やかなところとか。
顔に似合わない男らしさ……例えばめちゃくちゃ腕が立つところとか。

そんなところを全部ひっくるめて、自分はこの人に完全に惚れてしまっているのだろうか。

「俺は、どうしたらいい?」
アイリが再び口を開いた。

その声で、ジェセルは現実に引き戻される。

「あ……ああ。
 そうだな、王としては、ヒッタイトに行ってもらいたい。
 やっぱりヒッタイトとは揉めたくないし」

「……だろうな」
当たり前だ、と言う顔でアイリは頷いた。

「というか、そもそも何でアイリは故国の人間に付け狙われてるんだ?」
ジェセルは素朴な疑問を口にした。

「……今、ヒッタイト皇帝には俺を含めて3人…いや、1人増えて4人の子供がいるだろ?

 その中で、長子の俺だけ母親が違うんだ。
 …俺の母は亡国の王女で、俺を産んですぐに亡くなったらしい。

 で、母の死後に父が娶った後妻ってのが今のシェンナ皇妃なわけだけど、
 この人が、儚げな外見とは裏腹にすげー野心家でさ。
 自分が産んだ子を帝位に即けるって野心満々だった。

 当然、俺は邪魔だろ?
 だから命を守るために皇女として育てられたんだが……」

アイリは苦笑した。

「どうも皇妃は、性別に関係なく前妻の子供って存在が気に食わなかったらしい。
 ヒッタイトにいる時も、何度か刺客が来てさ、まぁそのせいでこんなに強くなっちゃったんだけど」

「何て言ったらいいのか……」
ジェセルは呟いた。

ジェセルだって、大国の王である。
前の王とその正妃の間に生まれた嫡子という申し分ない生まれではあるが、
それでも、エジプト王国の唯一人のファラオとして君臨するに至るまでには、
それなりの修羅場も経験してきている。

しかし、自分と両親との関係、両親の夫婦仲には何の問題もなかったし、異母妹ネフェルトとその生母(つまりは父の側室である)とも、ジェセルはそれなりに仲が良かった。

だから正直、家族内で殺し合う、といったような話はぴんとこない。

「ま、家族は仲が良いにこしたことはないんだけどな。継母と継子が殺し合うとか、ほんとくだらない」

そう言って笑うアイリを、ジェセルは無言で見つめていた。

彼は、本当に綺麗に笑う。
何の苦労も知らないかのように。


「行かなくて、いいから」

思わずそんな言葉が口をついて出た。

何を言い出すのかと、アイリの紫色の目が見開かれる。

「行かなくていい、ヒッタイトへなんか。
 病気だとでも何とでも、言い訳はできるんだから」

ジェセルは言い募った。

アイリは黙って聞いている……というより、
ジェセルの言葉が意外すぎて何も言えないのだろう。

「行かないでくれ。
 側に、いてほしい」

さっき、キアンに言われた時はワインを噴き出して否定したけれど。

やっぱり、自分はどうもこの人が好きで好きでたまらないらしい。

「おまえは、俺に死んでほしくないわけか」

この状況に似つかわしくない冷静な声でアイリは言った。
いや、今の彼の心理状況は決して冷静な訳ではない。
心臓なんか、もう剣術の稽古のあとよりも速く脈打っている。
が、とりあえずは現在の状況の確認だ。

ジェセルは、妃との間にちょっとした温度差を感じながらも頷いた。

「それってつまり俺が好きってこと?」

ジェセルは何も言わない。
だが、真っ直ぐにアイリを見つめるその視線が、彼の言葉を肯定していることは間違いない。

「…分かってんのか?
 いくら見た目は王妃に見えてようが、俺、男だぞ?」

「わ…分かってるさ!
 そりゃ、ちょっと、いやかなり悩んだけどさ」

「子供産まれねーぞ?」

「そんなこと分かりきって……」

分かりきっている、とジェセルが言い終わる前に、アイリが被せて言う。

「王妃の最も重要な仕事は、跡継ぎを産むことだ。
 本当に、一番重要な義務を果たせない王妃でいいのか?」

しばし無言のまま、二人の視線が絡み合う。

ややあって、ジェセルが口を開いた。

「それでも、アイリがいい」

その口調に、迷いはない。

あーあ、とアイリが盛大にため息をつく。

「俺の好みはさぁ、年上の女性なんだけどなー。
 そんでもって、目は釣り目が好みだったんだけどなー」

あまりといえばあまりなその言葉に、うっ…とジェセルが呻く。
どれひとつ、自分と被っていない。

がっくりと項垂れるジェセルを楽しげに見つめたあと、
アイリは、けど、と口を開く。

「あるんだな、自分の好みとは正反対の奴を好きになるってこと」

「……へ?」

恐る恐る、といった感じで、ジェセルが顔を上げる。

アイリはその顔に微笑みかけた。

「なんか俺も、おまえのことが好きみたい」

そう言った途端、なんかジェセルが近付いてくるなーと思っていたら、抱き締められた。

「…ジェセル…?」

そっ、と微かに身体を離し、視線を上げると、自分を抱き締めているジェセルと目が合った。

垂れ目…好きじゃないはずなんだけどな…。
アイリは心の中で苦笑した。

そして、どちらからともなく目を閉じ、唇を寄せる。

「俺、やっぱヒッタイトに行ってくるわ」

長い口づけのあと、開口一番にアイリは言った。

「何で?!」

その言葉が信じられず、ジェセルは思わず大きな声を出してしまう。

そんなジェセルを宥めるように、アイリは言葉を続けた。

「さっき、言っただろ?
 皇妃が殺そうとしているのは、ヒッタイト皇帝と前妻との間の子だって。
 
 それって、まぁ俺なんだけどさ。
 でも、今の俺はエジプトの王妃なわけで。
 つまり、もう俺にはヒッタイト帝国における特権はないに等しい」

「だから、もう命を狙われる理由がないってわけか?」

「ま、簡単に言えばそうだ」

それでも、なおも不安そうな面持ちのジェセルに、アイリは苦笑した。

「大丈夫だって。
 俺を信じろ。
 絶対、おまえんとこに帰ってくるから」

「アイリ……」

まだ、ジェセルの顔は晴れない。

それに、とアイリは続ける。
「そもそも俺ってさ、エジプトとヒッタイト両国の友好のために嫁いだわけだろ?
 だから、両国の間にヒビ入れるような真似、できればしたくねーんだよ」

ジェセルは軽く頷いて笑った。
そして、アイリの紫色の目を見つめる。
「わかった。
 けど、絶対帰ってくるって約束してくれ」

アイリもジェセルを見つめ返した。

「ああ、約束する」
アイリはそう言って、ジェセルに小指を差し出した。

その意図を察して、ジェセルもその指に自分の小指を絡ませる。



「おはようございます、王妃さま」

「……わっ!!」

翌朝、自分の部屋へ戻ると、メイが待ち構えていた。
誰もいないと思っていたアイリは、思わず変な叫び声をあげてしまった。

……気まずい。
メイの顔に『うわ、この人朝帰りかよ』って書いてある。

「すっ…清々しい朝だな!」
やけに明るい声でアイリはそう言った。

そうして、辺りを見回してはたと気づく。
「テオは?」
そう、メイがいるのにテオがいないのだ。

「あ、あの、テオさんなら昨夜から急な風邪で…。
 大したことはないんですけど、少し熱が…」

知らせようと思ったんですけど、と言いつつ、メイはちらっとアイリを見る。

「王妃さまはお部屋にいらっしゃいませんでしたし、
 王さまのお部屋へ行くのも憚られまして……」

「そ…そりゃお気遣いどーも…」
はは、とアイリは乾いた笑い声をあげた。

「でも、だったらテオは留守番か」

そう、ヒッタイトへ発つのは三日後だ。
その三日で風邪が治ったとしても、病み上がりの彼女に砂漠を縦断させるのは忍びない。

「あいつにも、久しぶりに兄弟に会わせてやりたかったけどな。
 ま、仕方ないか。
 …メイはついてきてくれるか?」

「はい!」
メイは満面の笑みで頷いた。

それにしても、と含み笑いとともにメイが言う。
「ようございましたわ。
 王さまと王妃さまが仲良くなられて」

「………」
今、水かなにかを呑んでいたとしたら、間違いなくアイリは噴き出しただろう。

「そ…そーゆーこと言うなよ!
 照れるだろーが!」



三日後、アイリは輿入れの時と同じように、豪奢な輿に乗った。
あのときと違うのは、
自分の衣装がヒッタイト皇女のものではなく、エジプト王妃のものであることと、
……それから、帰ってくる場所があるということ。

アイリは、輿のカーテンを少しめくり上げた。

そして外を見やると、自分を見送る皆の姿が見える。

病み上がりで少しやつれたテオ、相変わらず正統派男前なキアン、物腰柔らかな宰相セヌウ。
……そして、愛しい夫、ジェセル。

ジェセルが輿に駆け寄ってきた。

「……ジェセル?」

ジェセルは、自分が首からかけていたものを外して、アイリに渡した。

それは、スカラベの護符だった。

「……いいのか?
 これ、おまえがいっつも肌身離さず付けてるやつだろ?」

「ああ、これ、すごく大切なものだから、絶対返せよ」
ジェセルはそう言って微笑んだ。

「……わかった」
アイリも微笑み返す。

そして、カーテンを下ろした。


「王妃さま、ご出立ーー!」

アイリは、第二の祖国エジプトに束の間の別れを告げた。

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