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水月庵

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禁じたはずの遊び

家茂くんが少し暴力的だしこいつらほんとどうしようもないので注意

夜半のことである。
 一橋慶喜が京での宿所としている東本願寺を訪ねた将軍家茂は、廊下ですれ違った思わぬ先客に軽く目を瞠った。
「これは上様。こないなところでお会いするとは奇遇におざりますなぁ」
 壮年のその人物は柔和に笑って慇懃に頭を下げる。
 中川宮朝彦親王。
 時の帝の懐刀として、また公武合体派の領袖として権勢を振るう人物である。攘夷派の者共からは魔王と呼ばれ忌み嫌われているが、その反面幕府にとっては心強い味方ともいえる。
「ここで何をしておられた」
 が、鉢合わせた場所が場所ということもあり、知らず不穏な物言いになってしまう。
「そない怖いお顔せんとっておくれやす」
 柔らかい上方言葉と秀麗な顔が何やら逆に魔王めいて恐ろしい。
「気になります? 私が、一橋はんと真夜中に二人っきりで何をしていたか」
 魔王に意味ありげに微笑まれ、家茂は怯むまいとその目を真正面から見返し、笑い返した。






「この京での政に関してはある程度あれの自由に任せております。が、やはり主としてそれなりには把握しておかねば。それだけだ」
 しばし、笑顔のまま睨み合う。

「上様にとってはご不快な話かもしれまへんけど」
 家茂よりも幾分高いところにある顔が燭台の灯りに揺らめいた。
「私はかつて上様と一橋はんが十四代将軍の座を争うたときに、一橋はんを推したせいで井伊大老より蟄居させられた身ですよって。まあその頃からのお友達、いうやつですわ」
 上様がまだほんの童であったころの話ですなぁ、と揶揄するように言い添えられたその言葉が妙にカンに触る。
「……そうか。我が後見職が宮様と誼を通じておるのはこちらにとっても喜ばしきこと」
 内心の不快をおくびにも出さずそう言った家茂に、中川宮はほんの一瞬だけつまらなさそうな表情を見せた。
「それよりも私は上様が人目を忍んでここへおいでになった理由が気になりますなぁ。上様と一橋はんは大層不仲やと噂やけど」
「不仲とはいえ、家臣は家臣。人目につかぬところで話したいことが一つもないわけでは」
 では御免、と彼の脇をすり抜けようとした家茂に、魔王が言う。
「今宵は一橋はんもお疲れやろし、このまま寝かせてあげたって、と言いたいところなんやけど。
 まあ一介の親王が征夷大将軍様に何も言えたもんやあらしまへんな」
 ほなまた宮中で。
 そう言って、中川宮はひらひらと手を振って去って行った。
 すれ違う瞬間、いつも慶喜が薫きしめている香がかすかに香った。



「宮様? 何か忘れ物でも」
 人の気配に気づき、閨の中の慶喜が振り返る。しかしそこに立っていた人物が思っていた人とは違ったのでその言葉は尻すぼみに消え、きょとんとした表情で二、三度目を瞬かせた。
「宮様ではなくて悪かったな」
「上様」
 どうしてここへ、と慶喜はまだ要領を得ない顔だ。
「もしや何か危急のことでも? 使いをお出しくだされば私が二条まで出向きましたのに」
 適当に帯を結んだだけだった襦袢の胸元をさり気なく整えながら、慶喜は言った。
「ほう?」
 姿勢を正し平伏する慶喜を立ったまま見下ろす。
「駆けつけてくれるのか。愛しい男との逢瀬の最中でも」
「え? 一体何を仰って……」
 言い終わらぬうちに、慶喜の視界が反転した。
「上、さま」
 乱れた茵の上に押し倒され、のしかかる男の顔を呆然と見つめる。いまだ少年らしさの抜けきらぬ花のかんばせの中で光るぎらついた男の目が随分不似合いだ、などと思っているうちに衿に手をかけられ、そこでようやく慶喜は抵抗を見せた。
「やめてください!」
衿を割り開こうとする手首を掴み、引き剥がそうとする。
「どうしたのです上様」
 全体重を使って押さえ込もうとしてくる男の下から逃れようと手足をばたつかせるが、完全に組み敷かれた体勢からの形勢逆転は思ったより難しい。
 先程の情事の痕が点々と残る白い胸が露わになる。他の男に抱かれたばかりの身体を見られるのはさすがに恥ずかしくて、慶喜は顔を背けた。
「こちらを向け」
 その顎を掴んで乱暴に自分のほうへ向かせる。
「上様……?」
 慶喜の目に恐怖の色が浮かんだ。これまで幾度も、特に上洛してからは数えきれぬほど身体を重ねてきたが、ただの一度もこのように乱暴に扱われたことはない。むしろ、今までは抱かれる側であろうが慶喜のほうが主導権を握っていたようなものだ。
「大声で助けを呼べば、今ならまだ愛しの宮様が戻ってきて助けてくれるやもしれぬぞ。もしくはあの、そなたお気に入りの平岡とやらいう家臣も」
 普段からは想像もできないような意地悪な声音で家茂が言う。そしてそのまま慶喜の胸に顔を埋めた。
「何故です」
 肌をきつく吸われる痛みに眉を寄せながら慶喜は言う。このような仕打ちを受ける理由がわからないと。
「何故だと? そのようなことがよく言えるな」
 胸から顔を離し、慶喜を睨み上げる。
「だって、帝の信任も厚く我らと信条も近い中川宮様と通じておくのは幕府に、ひいては上様にとっても良いことではありませんか」
「娼婦の真似事がわしのためだとでも言うのか。ふざけるな!」
 家茂が両手を慶喜の首にかけた。そのままギリギリと締め付けられ、慶喜が苦しげに息を詰まらせる。首を絞められながら縋るような目で家茂を見た。その顔が、何ともいえず扇情的だった。

「離して……ください……っ」
 引きしぼるような声で哀願しながら、その手が宙をかく。たとえ首を絞められていなくて大声を出せたとしても、助けなど呼べるはずもなかった。相手は将軍だ。
 むちゃくちゃにもがく手が家茂の頬を掠めた。爪がごく浅く彼の肌を抉る。家茂の手の力が一瞬緩んだ。
 その隙に無理やり手を振りほどき、彼の胸を押し返してその下から抜け出した。
 激しく咳き込みながら、涙目で相手を睨む。
「娼婦の真似事が上様の御為なのかと、お聞きになりましたね」
「不義の言い訳か。できるものならしてみるが良い」
 頬に滲んだ血を手の甲で拭いながら、家茂も慶喜の目を見返した。
「その通りです。あなたのためです」
「たわけたことを」
「そもそも私の仕事はこの京で少しでも幕府が上手く立ち回れるよう、朝廷に入り込み朝幕の関係を調整すること。本来ならば莫大な手間と費用をかけて為し、それでも尚そのあやふやさを危惧せねばならぬ調略を、この身体一つで為せるのならば安いものではありませんか」

「詭弁だな」
 家茂は近くにあった文机を薙ぎ倒した。けたたましい音を立てて筆や硯が床に転がり、慶喜は身をすくませた。
 慶喜の肩を掴む。普段から弓などで鍛えている割に、細い肩だ。
「どうせ楽しんでおるくせに。どうだった、年上の、経験豊富な男との逢瀬は?」
 慶喜が顔を背けようとするのを許さず、その目を覗き込んで意地悪く囁いてやると彼は心底傷ついたように眉を八の字に曲げた。
 よくもそのような被害者面を、と、その表情が尚更嗜虐心を煽る。

「どうしてそんなにお怒りになるのですか」
 堂々巡りである。
「もし、上様が嫉妬なさっているのなら」
「ならば、何だ」
 家茂は少しだけ冷静さを取り戻した。
 嫉妬するなんて筋違いだ、あなたには愛する御台様がいるくせに。おそらく彼はそう言うのだろう。
 そう言われてしまえば、返す言葉はない。
 一体自分はいつからこんなに卑怯な男に成り下がったのかと家茂が自己嫌悪に陥りかけた寸前。
 慶喜は笑った。
 そして思いもかけぬことを言う。
「嫉妬してくださったのなら、少し嬉しいと思ってしまいました。お許しください」
 少し恥ずかしそうに吐き出されたその言葉に家茂は完全に毒気を抜かれてしまった。
 策士め、と心の中で吐き捨てる。
 結局こうして良いように丸めこまれてしまうのだ。まだまだこの百戦錬磨の陰謀家には勝てそうにない。

「ひどいことをしてすまなかった」
 すっかり落ち着いた声音でそう言い、彼の身体を抱きしめる。
 いつの間にやらその身体の感触がしっくり馴染むようになってしまった。良くない傾向だ、とは思う。
「今日はだめですよ、さすがに」
 大人しく身を委ねながらも無粋な釘をさしてくる情人に思わず笑ってしまった。
「心得ておる」



 家茂に寝支度をさせてから、燭台に息を吹きかけ灯りを消す。
 急に暗くなった室内で慶喜は手探りで布団へ入った。
 待ちかねたように家茂の腕が腰に絡んだ。
「何だか照れるな」
 暗闇の中、至近距離で見つめ合いながら家茂が言う。
「今更ですね」
 苦笑してそう返しながらも、家茂が言わんとしていることは何となくわかる。何度も身体を重ねてきたくせに、何もせずに一緒に眠ることのほうが何倍も気恥ずかしい。まるで、綺麗な恋愛でもしているかのようだ。
「上様」
「どうした?」
 寝入り際特有のとろりとした声。
「明日、いやもう今日かな、今日は朝寝坊しましょうか」
 自分でも驚くほど柔らかい声が出た。
 今くらい、恋愛ごっこに酔うのも悪くないと思った。

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