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水月庵

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竹と鶴とときどき煙


竹千代(いえみつ)と鶴千代(よりふさ)がちょっと悪いことをする話。

 広大な江戸城の中。
 西の丸のさらに西、吹上の地では新たな屋敷を建てる工事が進められていた。
 その屋敷がちょうど完成した頃。
 侍女がしずしずと入ってきてかしずき、上様のおなりです、と告げた。
 寝っ転がって本を読んでいた僕は慌てて起き上がり、だらしなく着崩れた着物を直した。
 父上が僕に用とは、珍しいこともあるものだ。
 やがて、侍女が恭しく開けた襖から入ってきた父──二代将軍徳川秀忠は、ひとりの少年を連れていた。
 後頭部で結わえていてさえ艶々と長く、背中と腰を覆ってお尻のあたりまで届いている長い黒髪の少年。
 彼を見ると、少し顔が緩むのが自分でもわかった。
 彼とはこれまでにも何度か顔を合わせたことがある。






 鶴千代だ。
 父上の一番末の弟。
 つまり僕にとっては叔父に当たるのだが、鶴千代と僕は一歳しか変わらなかった。
 最後に彼と顔を合わせたのは、確かおじいさまの葬儀のときだったか。葬儀の途中、彼は不届きにも欠伸を噛み殺していたのをよく覚えている。

 父は上座に座り、鶴千代はそれより下座、僕の斜向かいあたりにちょこんと腰を下ろした。長い髪の毛先が畳すれすれのところを掠っている。
 変わりないか、勉学には励んでいるか、など通り一遍のことを僕に聞いた後、父は鶴千代に目を向けた。
「今までは駿府におったが、大御所様が身罷ったのでな。今日より江戸に住まうことになった」
 なるほど。吹上の地に建てられていたのは鶴千代の屋敷だったのか。
「そなた達は叔父と甥の関係とはいえ年も近い。仲良うするのだぞ、竹千代、鶴千代」
 それだけ言って、父はすたすたと出て行ってしまった。
 父が素っ気ないのはいつものことだ。

 それから、僕と鶴千代はすぐに打ち解けた。
 勉学の講義を受けるときも、武術の稽古のときも、僕達はずっと一緒だった。
 そして、乳母日傘の僕とは違って鶴千代は悪いこともよく知っていた。
 鶴千代に誘われてはじめて城を抜け出したときの刺激といったら。
 味をしめた僕たちは度々城を抜け出して街へ繰り出しては、市井の悪餓鬼と同じように遊んだ。

 尤も、完全に二人きりというわけではなく、彼と街へ下りるときには必ず、少し離れた場所に警護役の屈強な男がいた。
 鶴千代に聞いたら、あれは鶴千代の配下の男で『雑賀孫一』なのだと、彼は少し誇らしそうに笑っていた。
 『雑賀孫一』の名は知っていた。戦国の覇者で僕の大伯父にも当たる織田信長と一歩も引かぬ戦いを繰り広げた最強の傭兵集団、雑賀衆の頭目の名だ。
 雑賀衆、およびその中心氏族の鈴木氏はその後、信長の次に覇権を握った豊臣秀吉の手で壊滅させられることになるが、いろいろな経緯があってその末裔が鶴千代の家臣になり、そして現在『雑賀孫一』の名跡を名乗っているのがあの若い男というわけらしい。
 そんな伝説の傭兵集団の頭目を家臣に持つ鶴千代がなんだか急にすごい人に思えた。
 鶴千代にそう言うと、彼は「次期将軍のおまえのほうがよっぽどすごいだろう」と言っておかしそうに笑ったし、当の雑賀孫一(本名は鈴木重次というらしい)も今はただの人ですよと笑っていた。
 ともあれ、そんな最強の男が警護しているのならば多少やんちゃをしようと僕達の身の安全は保障されているというわけだ。
 無鉄砲なように見えて、鶴千代はそういうところは意外ときちんとしている。

 何度目かの脱走の折、僕達ははじめて煙管というものを買ってみた。
 戦利品を手にホクホクと鶴千代の屋敷に帰還した僕ら。
 今まで煙管を見たことがないと僕が言うと、鶴千代はその白目勝ちの猫目を丸くした。
「嘘だろ、何で? こんなの武士でも町人でも町中みんな持ってるだろ」
「父上が、煙草はお嫌いだから。……だから、一応ご禁制なんだけど」
 まあ、それが今ひとつ守られていないことは箱入りの僕でも知っている。
「兄上は変なところで潔癖だからな」
 言いながら、鶴千代は火打ち石をカチカチやっている。その間、僕は刻み煙草をくるくる丸めていた。
 打ち合わされる火打ち石から火花が出て、それが火口に落ちるとポッと火が点いた。鶴千代はそれを少し危なっかしい手つきで付け木に移す。
 鶴千代が煙管を咥えた。小さい口からふぅ、と紫煙が煙る。
 妙にどきどきしていた。
 お城の中で、父上にはとても言えないようなことをしている。その背徳感がぞわぞわと身体を包み込む。
 そして、煙越しに見る鶴千代はいつもよりも少し大人に見えた。
 まだ煙がくゆる煙管を、鶴千代が僕に差し出す。
 僕はおずおずとそれを手に取った。
 先程まで鶴千代が咥えていた吸い口にそっと口をつける。
 恐る恐る煙を吸い込み、先程の彼を真似てふーっと煙を吐き出した。
 一瞬、頭がクラッとした。
 身体の中で心の臓がありえないほどうるさく鳴っていた。
 正直、煙の味なんてわからなかった。
 だけど。
 僕は鶴千代のほうを見た。
 手持ち無沙汰なのか、彼は自分の長い黒髪を指に巻きつけて遊んでいる。
 彼の小さな口をじっと視線でなぞる。
 はじめての煙管は鶴千代の味がした。ような気がした。

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