闇の深い長宗我部ブームが急に巻き起こったので書いてみました。
タイトルは流行りに乗ったけど別に入れ替わったりはしない。
その日、私は随分と久しぶりに父の微笑む顔を見た。
「かように長い間何処をさまよっていた? 待ちかねたぞ」
父は私の前でその長駆を折り、膝立ちになるとうっとりとした表情で私を見上げた。
父の手が私の頬へ伸ばされる。
ひんやりと冷たく、けれども柔らかいその感触を最後に感じたのはいつの頃だったか。
父の一番はいつだって信親兄上ただひとりだった。
下方から私の顔を覗き込む父と視線が交わる。否、父の視線と私のそれが交わることなど決してない。彼が見ているのは私ではないのだから。
若かりし頃はさぞ美しかったのであろうそのかんばせにも今は老いの影が迫っている。
だがそれでも、いや往時の猛々しい武将としての覇気を失った今だからこそ、その微笑みは蕩けるように柔らかく儚くて、「姫若子」を彷彿とさせた。父がかつて「姫若子」と渾名されたのはきっと単なる揶揄だけではなかろう。
「やっと戻ってきてくれたのだな……」
父の手が私の頬から滑り落ちた。その手が今度は私が纏う小袖の胸元に触れる。
「信親」
まだ幼い私の身の丈には随分と余る小袖。その布地をぎゅっと握りしめ、父は愛おしげに最愛の息子の名を呼んだ。
これは先だっての戦で命を落とした信親兄上が出陣の前夜に身につけていたもの。
きっとまだ、ここには彼のぬくもりや匂いが残っているのだろう。
「信親」
ただひたすら、兄上の名を呼び続ける父。
私は何も応えることができなかった。
これが、あの父なのか。
私に取り縋って幼子のように泣くこの男が、たった一代で四国を平定したあの長宗我部元親なのか。
哀(かな)しかった。そして、愛(かな)しかった。
それから程なくして、父は私を自らの世子に据えた。
他の兄達を押しのけて四男である私を後継者に立てることに無論、家臣達は反対した。
しかし何も心配することはないと父は笑う。そして父は、反対した家臣達を皆、斬って捨てた。
やがて元服した私は長宗我部盛親と名乗った。
盛親、盛親、とあの優しい笑みで父は私を呼んでくださる。
だが知っている。父は私を見ているわけではない。私を呼んでいるわけではない。
それでもいい。
私は生前の信親兄上が好んで身につけた色味の装束を進んで身につけ、少しでも兄に近づけるよう鍛錬を欠かさなかった。
私が「信親」で居れば父に悲しい顔をさせずに済む。
私は何よりも、父の笑った顔が好きだった。