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水月庵

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涙の場所

山背+入鹿

「あ、いた」
後ろから、まだ声変わりをしていない少年の声がした。
「誰だ」
その声の主が誰なのか大体見当は付いているものの、山背大兄王はそう誰何の声をあげた。
「俺だよ、俺」
「『俺』じゃ分からんだろ」
山背はそう言いながら面倒くさそうに後ろを振り返った。
やっぱり…。山背はため息をついた。
「一体どうしたんだ、入鹿。
 生憎と今の私にはおまえの相手をするような余裕はないんだが」
少年は案の定、山背の10歳年下で今年12歳である従弟の蘇我入鹿だった。
彼は時の権力者である大臣、蘇我馬子の孫にもあたる。






「別に無理矢理相手をしろなんて言ってない」
先程の山背の言葉に入鹿は憮然とそう言った。
「で、なんでおまえはわざわざこんな、斑鳩くんだりまで来たんだ。
 まだ子供のおまえが父上の弔辞を述べに来たわけでもあるまい?」
いつもは入鹿が懐いてきてくれると可愛い、と思う山背だが、
山背の父であり皇太子であった厩戸皇子(諡号:聖徳太子)が亡くなったばかりの今は少々鬱陶しい。
「別に。邪魔なら帰るけど?」
入鹿は山背の心中を読み取ったようにそう言った。


「…泣いてるんじゃないかと思って」
しばし気まずい沈黙が続いたあとで、入鹿は小さい声でそう言った。
「…はぁ?」
「いや、ごめん。変なこと言って。
 屋敷にはいないって言われたから、それでこんなところにいたから」
「いや…」
山背が言葉に詰まったのは実は入鹿の言う通りだったからだ。
父、厩戸皇子が亡くなったとき、山背は偉大だった父の長子として弔問に訪れた人達に対して堂々としていなければならなかった。
でもそれが一段落して、やることがさしてなくなったとき、ふっと気が抜けた。
しかし、まさか弟妹や妻や子の目の前でおいおい泣く訳にもいかず、気がついたらここだった。


「悲しいんだ」
山背は、先程の自分の発言についてまだ言い訳のようなことをブツブツと言っている入鹿向かって、小声でそう言った。
その声は、先程の入鹿の声よりもまだ小さかった。
「…え?」
「尊敬していた父上が亡くなって、悲しくてたまらない」
どうかしている。山背はそう思った。
同母兄弟や妻にも言えなかった本音をこんな子供に言うなど、どうかしている。
「でも私は立場からしても、女や子供のようにぎゃーぎゃー泣く訳にもいくまい。
 …聞かなかったことにしてくれ」
山背はそう言って入鹿から顔を背けた。


「泣けば?」
いつの間にか馬の手綱を手ごろな木にくくりつけて、山背の近くに座り込んでいた入鹿はサラッとそう言った。
「だから、それは…」
山背も言いながら腰を下ろした。
「どうして?
 山背の父上は偉大な人だった。その死を国中の人が悲しんでる。
 この国中、全員が泣いてるのに。いや海を隔てた向こう側でも泣いてる人がいるかも」
だから泣いてもいいんじゃないの?と入鹿は言った。


「うちの祖父さんもさぁ」
入鹿は続けた。
「あの馬子祖父さんがよ?
 厩戸皇子没、の知らせを受けた途端部屋に引きこもっちゃったんだと。
 涙が最も似合わないあの祖父さんも案外泣いてたかもよ?
 ま、雀の涙ほどかもしれないけど」
「失礼なこと言うなよ、入鹿」
昔、大臣馬子がその小柄で腹が出た体型を、宿敵である物部守屋に「雀みたい」とからかわれた。
入鹿はそれと掛けたのだ。
その入鹿の言葉に山背はぷっと吹き出した。
おそらく、笑ったのは父が亡くなってからは初めてだ。


「まぁ確かに奥さんの前で泣くのは男のメンツに関わるけど。
 でも今は俺しかいないから、泣けば?見ないから」
「ありがとう」


…ついさっきまでは鬱陶しい奴だと思っていたのに。
入鹿と話したおかげで随分と心が軽くなっているのを感じ、山背は驚いた。
今までは入鹿が一方的に懐いてきていると思っていたが、どうもそうでもないらしい。
心が軽くなった所為で、涙腺まで緩まってしまった。
じわっと目から温かいものが出てきて、視界がぼやけた。


肩の辺りに重みを感じたと思ったら、入鹿が寄り掛かっていた。
山背は肩の辺りから伝わって来る快い温かみに、ガチガチになった心が癒されてゆくのを感じた。
入鹿には父が死んで悲しい、とだけ言ったがそれだけではない。


父が亡くなれば自分が父のあとを継がねばならない。
自分に、あの偉大だった父、厩戸皇子の跡継ぎなど務まるだろうか?
そんな不安に耐えかねたのもあったのだ。
その不安は今は心にのしかかっていない、といえば嘘になる。
しかし、今一番の懸案事項はいい大人である自分がこんな子供に甘えているという現状だ。
はっきり言って今のこの状況は甘えている以外の何物でもないだろう。
山背は覚えず、心の中でため息をついた。

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