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水月庵

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ライバル、あるいは

くそ面白くもねぇ。
中臣鎌足は心の中でそう悪態を吐きつつ、そこら辺にあった石を蹴りあげた。
ったく、何なんだよ旻の奴。

あれは、つい先程のことだ。
「私の塾に蘇我入鹿ほど優秀な生徒はいない」
と、鎌足の師である僧・旻は言ったのだ。
なめやがって。
鎌足はまた心の中で悪態をついた。
たとえ身分は低かろうが、頭の良さでは良家の子息になんぞ負けたことはなかった。
この塾に来ても、勿論トップになる自信はあった。
なのに、よりにもよって蘇我入鹿に負けてるだと?!
あの、日本一の良家のボンボンなんぞに。
絶対嘘だ、嘘に決まってる。
旻はちょっと蘇我氏にへつらってるだけに決まってる。
ああ、何かムカついてきた。
というか、蘇我入鹿ってどんな奴なんだろう。
旻は唐から帰国したばかりなので、この塾が開かれたのも最近のことだ。
だから鎌足が通い始めたのも、勿論最近な訳で。
鎌足はまだ蘇我入鹿に会ったことがない。
知ってることといえば、大臣である蘇我毛人の嫡男で、今年22歳になることくらいだ。
はっ、どうせ変な奴に決まってる!
顔とかこんなで、性格とかも、まるで三流悪役みたいな感じで…。絶対足も超短いはずだ。
鎌足は頭の中に、自分が思い付く限りのマイナス要素を詰め込んだ男を想像してみた。
ふははっ、やな奴。
いや、やな奴はお前だ、鎌足。
そんなツッコミが聞こえたような気がしたが、気のせいだろう。






誰かの気配を感じて、鎌足は振り返った。
うわっ
と、思わず叫んでしまうところだった。
「誰だよ、おまえ…」
「はは、ごめんごめん、びっくりさせた?
 俺、入鹿っていうんだけど。
 あんた、中臣鎌足だよな?聞いてるぜ、あんたの秀才ぶりは」
秀才…、そうだ、俺は当代きっての秀才なんだよ!
と、心の中で叫んでから、パッと鎌足の動きが止まった。
…入鹿だと?入鹿って、蘇我入鹿か?

「…もしかしなくても、蘇我入鹿か?」
鎌足はそう聞いた。
もしかしなくても本当に蘇我入鹿だったら随分な口の聞き方だ。
鎌足一人の首がふっ飛ぶだけでは済まないかもしれない。
「うん。そうだけど?」
入鹿はしかし、別段鎌足の無礼な態度に腹を立てた様子もなく即答した。

鎌足は入鹿をジロジロと頭のてっぺんから足の先まで観察した。
これも、鎌足一人の首がふっ飛ぶだけでは済まないかもしれない失礼な行為だ。
でも、止めることができなかった。
彼から目を離せなくなったのだ。
彼は今日は仕事もないのか、寛いだ格好をしている。
少し癖のある、柔らかそうな日本人にしてはやや淡い色をした髪は、後ろで軽く結ばれている。
その髪が縁取る、さすが有力豪族の子息だけあってそんなに日に焼けていない顔には、男にしては大きい目と、すっと細い鼻梁と、形のよい唇がバランス良く配 置されている。
それから体つきは男にしてはやや華奢で、背も鎌足より僅かに低い。
絶世とまではいかないが、かなりの美貌だ。
そしてそれは中性的だが、先程の口調といい、そこまで女性的な印象は受けない。

はっ!
そこまで考えて、鎌足は自分の思考にストップをかけた。
何なんだよ、俺。
普通にヤバいって俺。
何考えてるんだよ、相手は男でしかもライバルだぜ?
そりゃ、まぁ俺が考えてたのとは全然違うけどさ。
だからって、何も見とれる必要はないんじゃないですか、中臣鎌足よ!
…大失態だ。自分の頭を殴りたい。
でも、そんなこと、ただのバカだ。

「何だよ、さっきからジロジロ見て」
怪訝そうな入鹿の声。
「み…、見てないでゴザイマスよ、入鹿サマ」
鎌足のビミョーにもほどがある敬語に入鹿は盛大に吹き出した。
「あはは、絶対あんた面白い!こりゃ明日から楽しみだわ!
 まぁ、丁度いいライバルもできたし。
 今までつまんなかったんだよなー、みんなバカで」
「…それは俺への挑戦状ですか、入鹿サマ」
「まー、そんな感じ?」
「はいはいそーですか」
入鹿は、ふっと笑った。
先程の大爆笑とは違い、今度は本当にきれいな微笑だった。
「じゃあ、これからよろしく」
入鹿はそう言って、鎌足の肩をぽん、と叩いて去っていった。

入鹿が去ったあと、鎌足は自分の肩に手をやった。
さっき、入鹿に叩かれた側の肩だ。
入鹿が去ったあとも、まだ彼が纏っていた品のいい香りがほのかに残っている。
それから、去り際のあの微笑…。

はっ、いかんいかん!
一体俺はいつからそっちの人間になったんだ!
いや、なってない!!

でも…まぁ、あの男だったらそんなに悪くないかもな…。
鎌足はふっと微笑した。
あ…って、何考えてんだ俺!
鎌足は、周りに人がいないことを確認して一発、自分の頭を思いっきり殴った。
音は、あまり響かなかった。
…よかった。これでめっちゃいい音とか鳴ったもんなら俺、世をはかなんで自殺するぞおい。

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