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水月庵

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necropolis



舎人親王の子、船王(ふねおう)と、新田部親王の子、道祖王(ふなどおう)の話。




 737年、晩夏。かつて「咲く花の匂うがごとく」と謳われたここ平城京は、折しもの豌豆瘡(天然痘)の大流行ですっかりその美しさを失っていた。道端には豌豆瘡で死んだ者達の遺体が無造作に積み上げられ、腐臭を放っている。
 死の匂いの立ち込める早朝の都大路を、一人の貴公子が馬を走らせていた。彼の名は船王。故一品太政大臣、舎人親王の三男である。
「急ぎましょう、旦那様。疫神(えやみのかみ)に捕らえられてしまいます」
 馬を引く従者が言った。怯えきった様子である。そんな彼とは対照的に、馬上の主人はいかにも涼しげな顔をしていた。






「それもまた一興」
 まるで物見遊山でもしているかのようにどこか楽しげな様子でそう言い、船王は道の脇に山と積まれた遺体に視線を落とした。醜い痘痕の浮かんだ肌。さらにそれが腐り、崩れ落ちた肉を烏が啄ばんでいる。
「感染すれば私のこの身体もこうなるのだと思うと」
 船王は赤い舌を出してその薄い唇を舐めた。昂ぶったときの彼の癖だ。
「たまらないな。自分が崩れていく様を思うと。背筋がゾクゾクする」
 蛇のような目を爛々と輝かせて彼は言った。
 その様子に従者は嘆息した。亡き父、舎人親王を通して天智天武両帝の血を引くこの王は間違いなく国でも指折りの貴人だ。見目も良い。だが彼には少し、いやかなり変わった性癖があった。
 昨夜、王の訪いを受けた女の寝所から聞こえてきた女の悲鳴。あれはどう考えても普通の情事のそれではなかった。……まあ、物心ついたときからずっとこの王に仕えている従者からしてみれば、もはやそれは慣れたものだ。幸いにして、その苛虐趣味に曝されるのはあくまで情を交わすべき相手だけで、自らに仕える者達を闇雲にいたぶったりする類いのものではなかった。相手の女性にとっては気の毒なことかもしれないが、従者はあくまで従者であって、そこまで気にするような立場にはない。

 従者は顔を前に向けた。と同時に、ヒッと小さく悲鳴を上げた。
「疫神……」
 そう呟き、彼は震える指で前方を指し示した。船王が怪訝な顔でその指の先に視線を合わせる。
 目に飛び込んできたのは、紅色の袍を着崩した姿でふらふらと歩く者の姿だった。
 朝靄に浮かび上がる紅色の袍と、緑なす黒髪。着ているものは男物だが、華奢な体つきと、解かれた髪の間から垣間見える細面は女のようにも見える。成る程、確かにその者の姿はただの人というにはあまりに現実味を欠いていた。
 だが、その姿を見るなり船王はくすりと微笑んだ。

「誰かと思えば、今をときめく道祖王(ふなどおう)ではないか」
 いきなり名を呼ばれたその人は驚いたように一瞬身をすくませたあと、おずおずと馬上の船王を見上げた。
「兄さまでしたか。私のほかに生きている人がいるとは思わなかったので驚きました……」

「死神とでも思ったか?」
 冗談めかしてそう尋ねてやると、少し、と言って道祖王は照れくさそうに笑った。
 道祖王。故新田部親王の次男で、船王の父方の従弟である。彼は7つ年上の船王を幼いときから兄と呼んで慕っていた。
「こんな時間に共も連れずにどうした?」
 道祖王を馬上に引き上げながら船王が尋ねる。
「先ほど宮中を出たばかりなのです」
 大人しく船王の腕の中におさまった道祖王はそう言って船王の胸に甘えるように背を凭せ掛けた。
「野暮なことを聞いてしまったな。さすがは主上の寵愛深い道祖王様であらせられる」
 耳元で囁かれた揶揄するようなその言葉に、道祖王は柳眉を顰めた。
「やめてください。そんな……」
「ほう。主上のことは嫌いか? 毎晩嫌々ながら抱かれているのか?」
「嫌うてなどおりません。主上はお優しい。……どこかの誰かと違って」
「へぇ。誰のことだ?」
 船王が後ろから道祖王の耳を舐る。道祖王が小さく声を上げた。

 二人が相乗りする馬を引く従者は気が気でなかった。こんなところをもし人に見られでもしたら。船王がいかに高貴とはいえ、いや、皇位すら狙えるほど高貴であるからこそ、「帝のもの」に手を出したなどと人に知れればただでは済むまい。仕える主人が失脚すれば従者である自分の人生もまた終了である。暗澹たる気持ちになったが、主人に物申すことなどできない。

 船王と道祖王を乗せた馬は程なくして船王の邸に着いた。
 当たり前のように道祖王を中へ招き入れる主人を従者は苦々しい思いで見送った。
 人払いをした部屋に二人で入るなり、道祖王は船王に抱きついた。
「どうしたんだ、いきなり」
 細い身体を受け止めつつ、船王が問う。道祖王の背に回されたその手も、声音も、彼らしからぬ優しさに満ちていた。
「怖いのです」
 船王の肩口に顔を埋めながら道祖王は言った。
 長い黒髪が左右に分かれて前のほうに流れ、白く細いうなじが剥き出しになっている。まるで手弱女のように細く頼りない首。
 この細首に指をかけ、力を入れて絞めあげれば彼はどんな声で鳴くのだろう。そんな考えが一瞬船王の脳裏をかすめた。だが、彼は慌ててその考えを追い出す。この従弟にだけは、いかなる痛みも苦しみも与えてはならない。与えなくない。
「怖い? 今のおまえには怖いものなど何もないだろう?
 帝王の愛を一身に受け、今年は従四位下という位も賜った。
 皇后が豌豆瘡で四人の兄を一度に失い、帝の心は離れ、権勢を失っていくのとは対照的にな。
 次の皇太子になるのは道祖王様だろう、いやそれどころか主上は今の女皇太子を廃して道祖王様を立太子させるのでは、と皆が噂しているぞ」
 船王がそう言うと、その腕の中で道祖王は頑是ない幼子のようにかぶりを振った。
「そうやってどんどん分不相応な立場へまつり上げられることが怖い。
 私は権力など欲しくない。
 ……主上はとても悩み多き御方。そんなあの方が、私が傍にいるときだけ安心したように笑ってくださる。
 私はただ、それが嬉しいだけなのです」

「だが周りはそうは思わない」
 道祖王の身体がびくりと震える。
「一度でも帝をその身に受け入れたおまえはもう、玉座に座るか殺されるか、二つに一つ。
 違うか?」
 船王の言葉に、道祖王は目を伏せた。そして、あなたの仰る通りです、と答えた。

「おまえが負けた、そのときは」
 船王が言う。
 道祖王が顔を上げた。濡れた双眸が船王の涼しげな白皙をまっすぐに見つめる。その黒曜石の眸を見つめ返しながら、船王は言った。
「私がこの手でおまえを殺してやる」
 蕩けるように優しげな声音。
 その言葉を聞くなり、道祖王の目に歓喜の色が溢れた。
 嬉しい、と彼は呟いた。ならばもう怖いものなど何もない、と。
「夢みたいです。兄さまの手で死ねるなんて。
 約束ですからね。
 そのときが来たら必ず、思いきり私を苦しめて殺してくださいね。絶対ですよ」
 はしゃいだ声でそう言って、道祖王はより一層強く愛しい従兄にしがみついた。
「誓うよ」
 船王は道祖王の頤に手をかけた。上を向かせ、その甘やかな唇を奪う。
 朝の光が死の都を照らす中、二人は時を忘れて互いの唇を貪り合った。

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