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水月庵

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秘密




備中松山主従です。従出ないけど。


『山だしが 何のお役に 立つものか 子曰はくの やうな元締』
 近頃備中松山に流行る狂歌である。
「ええい忌まわしい!」
 御殿へ上がる道すがら、道路脇の木にくくりつけられていたその狂歌を書いた紙をぐしゃぐしゃと握りつぶしつつ、三島貞一郎が舌打ちをした。
「落ち着けよ。この門をくぐったら御殿──敵地だ」
 言動に気を付けろ、と、彼と連れ立って歩く兄弟子がやんわりと貞一郎を制する。
「昌一郎どの。あなたは悔しくないのですか。城の連中は先生を何だと思ってやがる」
 なおもいきり立つ貞一郎に、昌一郎という名の太めの男ははぁ、とため息をついた。
「悔しいに決まってるだろう。先生はあんな連中に中傷されるようなお人ではない。……が、先生の弟子である俺達がみっともなく騒いでどうする。ますます先生の顔に泥を塗ることになるぞ。
 だからほら、背筋を伸ばせ。襟を整えろ」
 言いながら昌一郎は弟分の襟に丸くふくよかな手を伸ばし、その袷を軽く整えてやった。
 十九歳の三島貞一郎と二十九歳の村上昌一郎はともに、国一番の秀才と名高い山田安五郎の私塾で学ぶ才子である。
 入門してからこのかた、師の教えを少しでも多く吸収しようと切磋琢磨する毎日を送ってきたのだが、この度その日常を一変させる出来事が起こった。




 師である山田安五郎が突如、元締役兼吟味役という藩の財政を一手に担う要職に大抜擢されたのだ。
 いくらその才を日ノ本中に轟かす秀才とはいえ安五郎は元は農民の倅。譜代の藩士を押し退けてのこの前代未聞の沙汰には反発の声も多く、城下には彼を貶める落書も撒き散らされているというあんばいである。
「おおこれはこれは」
 御殿の中に足を踏み入れるなり、廊下を歩く藩士の群れが二人に目をとめる。口元は笑っているが、その目には侮蔑とやっかみと好奇心と、ともかく不快な光がありありと見て取れた。
 早く行き違ってくれと貞一郎と昌一郎は脇に避けてやり過ごそうとしたのだが、藩士達は足を止めたまま動こうとしない。
「どうぞお先に進まれませ」
 努めて穏やかな笑みを貼りつかせつつ昌一郎が促すのだが、藩士達はねっとりとした笑みを浮かべたまま立ち去る気配がない。
「いやいやまさか藩侯のご寵愛著しい元締役兼吟味役様の直弟子らに道を譲らせるなどと滅相もない」
 面倒臭いな、と貞一郎は顔をしかめた。
「ならば先を急ぎますので御免仕ります」
 貞一郎がそう言って藩士達の前を通り過ぎようとすると、群れの一人が貞一郎の足を引っ掛けるように足を出した。
 貞一郎が前のめりによろめく。
「まあそう急ぐこともないではないか。それともお偉い学者様は我々と話している暇などないということか」
 ああ面倒くせえ!
 心の中で叫ぶ。
 こらえろ、と言うように兄弟子が貞一郎の肩を押さえた。
「まったく。武士の牙城であるこの御殿を学者なぞが我が物顔でうろうろするなど嘆かわしいことよ」
「いやはやそのようなことを言うものではないぞ。何せ元締役様は藩侯の……なぁ?」
 藩士達の顔に下卑た笑みが浮かぶ。
 貞一郎は拳を握りしめた。彼の肩を抑える昌一郎の太い指にも力が入る。
 怒りを必死にこらえる二人の姿に、藩士達はますます調子づいたようだ。
「いやぁ意外や意外、殿様もおとなしやかなお顔をして随分と好き者であらせられる。学者のモノはそれほどに良いものかのぅ」
「密室で一体何を教えられたものやら!」
「にしても藩の要職に加えてあのお綺麗な殿様まで抱けるとは男冥利に尽きるとはこのことよ」
「違いない!」
 藩士達はどっと笑った。
 尊敬する師のみならず、よりにもよって自らの主君まで侮辱するとは。
 もう我慢ならない。
 貞一郎は視界がカッと赤くなるのを感じた。
「貴様ら……」
 低い声で唸り、足を一歩踏み出しかけたとき。
 不意に肩が軽くなった。
 怪訝に思ってふっと動きを止めたその刹那、先程まで貞一郎を制していた兄弟子が、その巨体で彼を押し退けるようにして藩士達の前に踊り出た。
「黙って聞いておればよくも抜け抜けと! 我が師を侮辱するだけでは飽き足らず藩侯にまで罵詈雑言をほざくとは貴様らそれでも武士か!」
 一番前にいた藩士の胸倉に昌一郎が掴みかかる。
 それなりに長く共にいる貞一郎ですら、この心穏やかな大男が声を荒げる姿など殆ど見たことがない。
 その剣幕に、藩士達もようやく自分達の失言に気づいたのか顔色をなくした。
 貞一郎は逆に冷静になった。
 確かにこの藩士達の言い草はとても看過できるものではないが、ここは藩主のおわす御殿。これ以上の騒ぎはまずい。
 心ならずも兄弟子を制止しようと手を伸ばしかけたそのとき、廊下に新たな声が響いた。
「控えよ!」
 藩主お付きの小姓の声だ。
 昌一郎ははっと我に返り、藩士の着物から手を離した。
 そして昌一郎も貞一郎も、藩士達も慌てて脇に寄って平伏する。
 華やかなお仕着せをまとった小姓に先導され、その人物は涼やかな衣擦れの音とともに廊下に姿を見せた。
 絹の袴から見える白い足袋が貞一郎らの眼前で止まった。
「おもてを上げよ」
 昌一郎と貞一郎はおそるおそる顔を上げたが、藩士達はとても顔を上げられない。平伏したままガタガタと震えている。
 九曜巴の紋が染め抜かれた羽織をまとった若き藩主はその姿ににやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「さっきまでの威勢はどうした。別に怒ってなどいない。まあ立て」
 身をかがめ、手にした扇子で一番近いところにいた藩士の顎を持ち上げる。
 藩士達は震えながら、やっとの思いで立ち上がる。
「な……なぜ殿がこちらに……」
 藩士達の詰所のあるこの辺りに藩主が姿を現わすことは滅多にないはずである。
「ここだって俺の家の一部だ。自分の家のどこにいようが勝手だろう」
 藩士達の顔は蒼白を通り越してもはや土気色だ。
 無理もない、と貞一郎は彼らに思わず同情にも似た感情を抱いてしまった。
「で? 聞こえていたぞ。先程おまえ達は山田安五郎を俺の愛人だと言ったな」
「ひっ……」
 藩士達が口々に情けない声を漏らす。
 藩主はますます笑みを深くした。
「ならば尚更、口を慎むべきだったな。お気に入りを貶されて俺が黙っているとでも?
 それから、藩の要職に加えて殿様を何だって?」
 扇子を手に微笑む殿様の迫力に、咎められる謂れはないはずの貞一郎達まで血の気が引いた。
 殿様の白皙からすっと笑みが消える。
「人の才能を妬むことしかできぬおまえ達など真っ平御免だ。おととい来やがれ。
今日だけは見逃してやる。だが次またいらぬ口を叩いたらその腹かっさばいてやるからな。よく覚えておけ」
 ドスのきいた声で藩士達に釘を刺した後、藩主はくるりと貞一郎達に向き直った。
「先生に用があるのだろう? こっちだ。せっかくだから案内してやる」
「も、もったいのうございます」
 顔を引きつらせつつ、山田安五郎の弟子二人は声を揃えた。
「このところずっと先生を独占してしまってすまないな。おまけに御殿の連中もこんな有様で。
今日も嫌な思いをさせてしまって申し訳ない」
 先を歩く殿様の声に、滅相もない、と貞一郎達は慌てて首を横に振った。
 怖い。さすが、藩を統べる殿様である。師からは殿は可愛らしいお方だと聞いていたのだが。
 垂れ目がちな目が印象的な顔は確かに可愛いが、怖い。
「あの、殿様」
 昌一郎が藩主の薄い背中に遠慮がちに声をかけた。
「何だ?」
 前を向いたまま藩主が応える。
「あのぅ……殿様と師匠はやはりその、そういう……?」
 肉付きの良い体をもじもじと縮こまらせながらとんでもないことを問いかけた昌一郎に、貞一郎は思わずつんのめった。
 何てデブだ。
 死んだな、と貞一郎は思った。
「そうだなぁ……」
 殿が振り返る。
 貞一郎はすでに辞世の句を考え始めていた。
 殿が笑う。
「秘密」
 扇子を口許に寄せて恥ずかしそうにそう言った殿様は、なるほど確かに可愛いかも。
 貞一郎はそう思った。
 と同時に、勿体ぶらないでくださいよなどと隣のデブがいつ言い出すかと思うと冷や汗が止まらなかった。

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