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水月庵

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都市伝説の姫





御三家二代目が酔っ払ってるだけ。



「おまえも千代なんだな、そういえば」
 水戸の従弟の顔をまじまじと見つめつつ、尾張藩主徳川光義はしみじみとした口調で言った。
 酒が回ってきたのか、ほんのり赤い顔をしている。

「は?」
 水戸の世子、徳川光国は怪訝そうに片眉を吊り上げた。






 同じくらいの量の酒を飲んでいるはずだが、こちらはまだほとんど素面に見える。
 なるほど確かに光国の幼名は千代松であり、光国の兄である頼重はいまだに光国のことを千代と呼んでいるが。

「ああ、光義の奥方も千代姫様やな、そういえば。こいつとお揃いや」
 その頼重は光国の隣で杯を傾けながらそう言って笑っている。
 兄の端正な横顔に、光国はしばしぼーっと見入った。
「兄上……」
 従兄達がいるのにもかかわらず、兄に擦り寄ろうとした光国を、彼の向かい側に座す紀州の世子、徳川光貞がこら、と目で制す。
 彼は紀州特産の梅をたっぷりと浸け込んだ梅酒を玻璃の杯に注いでちびちびと飲んでいる。

「で、急にどうしたんだよ? 五郎八(いろは)ちゃん」
 隣に座る尾張の光義に視線を戻し、光貞が言った。
 五郎八(ごろはち)とは光義の幼名だ。かの伊達政宗の息女が五郎八(いろは)姫という名であったことに因んで、光貞は昔からからかい半分で光義のことをイロハちゃんと呼んでいる。
「いや、その……」
 イロハと呼ばれることにはもはや抵抗もないのか、光義は普通に話を続けようと口を開く。が、何やら言いにくいようで歯切れの悪い口調のまま口ごもってしまう。

 ちなみに今宵は、光義の正室であり前将軍の長子でもあるその千代姫様が身ごもったことへの祝いにかこつけた宴である。
 生まれる子が男児であれば晴れて御三家筆頭尾張徳川家の世子の誕生だ。
 幼なじみ兼従兄弟に嫡子が生まれるとあって、紀州の光貞、水戸の光国、そして水戸の庶長子で今は高松藩主となっている頼重が揃っていそいそと尾張藩の上屋敷に駆けつけた、というわけだ。

「いやそのな、ここだけの話……、名前だけでなく顔もちょっと似ているな、なんて……」
 口ごもりつつそう言った光義に、彼の対面に座る頼重がさっと険しい顔をつくる。
「光義おまえまさか、奥方が懐妊中でできないからってちょっと似てるうちの千代に……」
 言いつつ、頼重が隣に座る弟を抱き寄せる。
「あかん! うちの子は渡しません!」
 弟を抱きしめつつそう叫んだ頼重は、顔には出ていないもののかなり酔っているのかもしれない。
 光国はというと、久しぶりに兄に抱きしめられて幸せそうな顔をしている。
「いや違う! 誤解だ! そうじゃなくて。というか、光国と千代姫様が似ているというより……」
 余談だが、自分の妻であると同時に将軍家の姫君である千代姫のことを光義は千代姫様と恭しく呼ぶ。

「というより?」
 三人がじっと光義を見つめる。
「千代姫様は光国に似てるというより……、水戸の叔父上に似てるんだ。そして光国も父親である水戸様に似ている」
 光義の発言に、場が静まり返った。

「千代姫様は……、女嫌いの男好きで有名だった前の上様に突然できたお子だったな」
 何ともいえない沈黙を最初に破ったのは紀州の光貞だった。
 彼の言う通り、前の将軍は女よりも男を好む性質があり、これでは世継ぎができぬと周囲をやきもきさせていたことは有名だ。
 そんな彼の目を何とかして女に向けさせようとの周囲の涙ぐましい努力が実り、ようやく誕生したのが光義の妻、千代姫ということになるのであるが。
「まさかそんな」
 そんな恐ろしいことがあってはならないと水戸の兄弟が険しい顔で互いに顔を見合わせる。
「確かにうちの父上は前の上様に格別に気に入られてたし精力絶倫だけど……」
 困惑した顔で光国が言う。
「絶対に女は無理だけど周囲を黙らせたい前の上様が水戸の叔父上に頼んで……?」
 光貞が恐ろしい仮説を口にした。
 それが本当ならば、徳川家最大にして最悪の秘密だ。
 再び、沈黙が部屋を支配する。

 その沈黙を破ったのは、今度は光義だった。
「……いやまさかな」
 取り繕うように、杯に残った酒を一気に吞み下す。
「そもそも俺ら全員血が繋がってるんだから誰が誰に似てようが不思議はないよな!
 それにもしそうだとしたらそれ以降に生まれた子供たちの説明がつかないもんな。
 すまん、くだらないことを言った」
 不穏な空気を追い払うように、彼は言った。
 そうだよな、と他の三人も、彼に合わせてややぎこちなく笑う。
 光義は立ち上がった。
「俺、だいぶ酔ってるみたいだ。ちょっと夜風にでも当たってくるわ」
 そう言って、少し覚束ない足取りで出入口のほうへと歩いて行き、襖に手をかけた。いや、かけようとした。
「うわっ」
 光義が仰け反る。
 彼が手をかけるより前に、襖がスーッと開いたのだ。
 何事かと、光貞と水戸の兄弟も身を乗り出して襖の向こうを注視する。

「あらあなた。そして紀州と水戸の若様、高松の殿様もご機嫌よう」
 にこにこ笑顔で襖の向こうから顔をのぞかせたのは誰あろう、渦中の千代姫様だった。
 精巧な刺繍と金箔がふんだんにあしらわれた豪華絢爛な打掛を羽織り、長い黒髪を背に垂らしている。
 子を宿している腹は打掛の上からでも少し膨らんでいるのがわかる。
 だが、まだ十五にも満たぬ彼女の顔にはまだほんのりとあどけなさが残っていて、膨らんだ腹部との不釣合いさが何となく背徳的な空気を醸し出しており、光貞は思わず襖の前に突っ立つ光義をじとりと睨んでしまった。
 そして、そのやんごとなき少女の顔は、光義の言う通り、水戸の叔父上(或いは父上)こと徳川頼房が少年の頃はこのような顔だったのだろうな、という顔立ちであった。

「随分と楽しそうなお話をなさっていたようで」
 千代姫はそう言って、夫を押しのけて部屋に入り、先程まで光義が座っていた座布団に腰を下ろした。
 魂の抜けたような顔で相変わらず襖の脇に立っている夫を見上げ、あなたもお座りになったらいかが、と隣の畳を指差す。
 言われるままに、光義は畳の上に正座した。

「……どこから、聞いてはったん?」
 千代姫に真正面に座られる羽目になった頼重が、目を逸らしつつおそるおそる尋ねる。
「『千代姫様は光国に似ているというより、水戸の叔父上に似ている』のあたりからですわ、高松様」
 ほぼ全部やないか、と頼重は呟いた。
「その……見た目からは分かりにくいかと思いますが実のところ我々は今べろんべろんでして」
 言い訳がましく、光国が弁明にもならない弁明をする。
 千代姫は手の甲を口元に添えて、可笑しそうにふふっと笑った。
「大丈夫ですわ水戸様。わたくし、ちっとも怒ってなどいなくってよ」
 父親に少し似た顔から鈴の音のように可愛らしい声が出るのを、頼重と光国は複雑な表情で聞いていた。
 少しでも姫君の機嫌をとっておこうと思ったのか、光貞は用意された肴の中から妊婦が食べても大丈夫そうなものを選んでせっせと千代姫に差し出している。
 それを優雅に口に運んでから、千代姫は言った。
「せっかくだから皆様に真相を教えてさしあげますわ」
 彼女の言葉に、四人はごくりと唾を飲んだ。

 四人の男が雁首そろえて固唾を呑む中、気まぐれな姫はそうだわ、と手を打った。
「お酒臭いわね。お話をする前に、少し障子を開けてくださる?」
 夫とは反対側の隣、ちょうど庭に繋がる障子の近くに座っていた光貞に千代姫が言う。
「しかし」
 障子を開ければ声が外に漏れはしないかと光貞が難色を示す。
「構いませんわ。別に、人に聞かれて困るお話ではございませんもの」
 さあ早く、と光貞を促す。
 仰せのままに、と光貞が立ち上がって障子を開けに行った。
 御三家のひとつ紀州の世子たる者が人に使われている姿など、そうそう見れるものではない。
 光貞が障子を開けると、外のひんやりとした風が部屋に吹き込んだ。
 酒と肴の匂いがこもった部屋の空気が浄化されてゆく。
「開けると少し寒いわね」
 千代姫がそう言うと、夫の光義がすかさず羽織を脱いで妻に差し出した。
 羽織を受け取り、千代姫がそれを膝にかけたところで光貞も席に戻り、ようやく話がはじまった。

「簡単に言うとね、何のことはない、わたくしはお母様似ですの。
 生憎わたくしはお母様のお顔を覚えていないのだけれど、ばあやや侍女たちは口を揃えてそう言いますわ」
 こともなげに千代姫はそう言った。
「父上が……千代姫様の母上……?」
 その場合、千代姫は自分の異母妹になるのだろうか異父妹になるのだろうかと考え込んでしまった光国は、どうやら時間差で酒が回ってきてしまっているようだ。
「お話が進まないので一旦黙ってくださるかしら」
 千代姫に睨まれ、光国は素直に口を閉じて姿勢を正した。

 全てはばあやからの又聞きなのだけれど、と前置きをしてから、千代姫は話を続けた。
「わたくしのお父様が全く女の人に興味がなくて、このままではお世継ぎが生まれないと周囲が焦ったのは皆様も知っての通り。
 そして、何とかしてお父様に女性に興味を持っていただこうとあらゆる種類の美女を、お父様の乳母だった春日どのがお城に集めたことも。
 そうして集められた美女のひとりがわたくしのお母様、お振の方でしたわ。
 男色家だったお父様がお母様に心を動かされたのは……、一体どうやって見つけてきたのかしらと思うほど、お母様がお父様の最愛の方に似ていたからだそうですわよ。
 その最愛の方というのが、誰とは申しませんけれど、お父様がご自身で定められた参勤交代の掟を破ってまでずっと側に置きたがったとある御家門の大名、俗に言う副将軍様ですの」
 ほぼ、答えを言っているようなものである。
 頼重と光国は顔を見合わせた。
 お互い、何ともいえない表情をしている。

 惜しげも無く間抜け面をさらしている四人の男を満足そうに見渡し、千代姫はいたずらっぽく笑った。
「そしてお母様はこうやって髪を後ろで束ねて……」
 言いながら、自分の黒髪を持ち上げて頭の高い位置で一つに握る。
「ア……あ、あ……」
 頼重と光国がどこぞの湯屋のお化けのような声を出す。
 髪をひとつに束ねた千代姫は、彼ら兄弟の一番古い記憶の中の父、それをもう数段若くした姿に、やはり似ていた。

 千代姫がパッと手を離した。するりと髪が解け、背中にさらりと流れる。光義は見慣れている、いつもの可愛い千代姫だ。
「というわけですの。大した話ではありませんでしたでしょ?
 信じる信じないは皆様方にお任せいたしますわ」
 四人の男はふぅーと息を吐き出した。知らぬ間に、随分と肩に力が入っていたらしい。
 千代姫は甘えるように夫に身を寄せた。
「たくさん話して疲れてしまいました。もう寝みましょ」
「そ、そうですね」
 ぎくしゃくした動きで光義は立ち上がり、千代姫の手を取った。
「そういうわけだから、何かもう適当に解散してくれ」
 紀州と水戸と高松の従兄弟に言い置いて、光義は千代姫とともに襖の向こうへ消えていった。

「帰るよ」
 呆然とした顔で座る兄弟に光貞が声をかける。
「い……いやだ……今夜は帰りたくない……」
 光国が呟く。瞳孔が開いている。
「何気持ち悪いこと言ってんの」
 無理やり立たせようとする光貞に、光国はがばりと飛びついた。
「だって! こんな話聞かされて俺はどんな顔で父上のいる邸に帰ればいいんだよ!」
 必死の形相である。
 ご愁傷様、と、光貞は心の底から思い、心の中で手を合わせた。

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