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水月庵

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独占欲

丹羽長重(にわながしげ)は愛しい人の臥所を後にした。
夜はまだ深い。
たった一度愛し合っただけでは、離れていた長い時間を埋めるのには全然足りなかった。
だが、かの人の許から大っぴらに朝帰りなどできようはずもなく。
後ろ髪を引かれつつ、彼は中庭に面した廊下へと足を踏み出した。
先ほどまで降っていた雨の影響だろうか、湿り気を帯びた空気が情事の余韻冷めやらぬ身体を包む。
厳重に人払いはされているはずである。が、用心には用心をということで極力足音も立てぬようにそろりと歩を進める。いや、進めようとした。
部屋を出て数歩も行かぬところに、まるで行く手を阻むかのように影があった。
長重の持つ手燭の仄かな灯りに照らされ、影は人の形を成す。
まるで置物のように静かに、その場に座していた人影は灯りに気づくやゆらりと立ち上がった。
背は長重より僅かに低い。髭のないこざっぱりとした顔。
「……これは、大炊どの」






いつからそこに、と内心の動揺を押し殺すように、長重は低声で尋ねた。
「無論、最初からに決まっておりましょう。帰り道の案内を致しますゆえ、どうぞこちらに」
へらっと笑って感情の読めない声でそう言い、大炊こと土井大炊頭利勝(どいおおいのかみとしかつ)は長重を促した。
長重が持っていた手燭をするりと奪い取り、足元を照らしながら彼を先導する。
「もしや聞いておられたのですか。その、最初から最後まで」
「あの距離で聞こえぬとでも?」
「悪趣味だなぁ」
長重は苦笑した。
「何の。いつものことにございます」
おまえだけではないのだぞ、と言外に言われ、長重の顔から笑みがふっと消える。

「なぁ大炊どの」
前を歩く男の背に話しかける。
「……あまり話し声を立てられると困るのですが」
そう答える利勝には構わず、長重は続けた。
「あの方はいつから、あんな風に」
遠い昔。まだ豊臣の天下だった頃。幼さの残るあの身体を抱いたときのことは今でもはっきり覚えている。
はじめて男の欲望に晒され、桃色に染まった肌。貫かれる痛みに息を詰まらせるその様。
もちろん今宵の彼にその初々しさがなかったからといって、長年温め続けてきた恋慕の情が薄れることはない。
それでも、離れていた時間の溝を感じずにはいられなかった。

「さぁ存じません」
利勝は長重の感傷をあっさりと笑い飛ばした。
「ただ、血で血を洗う戦乱の世を勝ち抜いていく武器は槍や刀だけではなかったのでございましょう。あの方にとってはね」
「貴方はそれを黙って見ていたのか。一番傍で。止めもせずに」
気色ばむ長重をよそに、利勝は一貫して笑いを崩さない。
「貴方がそれを問うのですか、よりにもよってこの私に」
そう言われてしまっては、黙るしかなかった。



「長重は無事帰ったか?」
長重を見送った後、当然のごとくに合図も何もなしに主の寝所へ入ってきた利勝に、彼もまた当然のように問いかける。
「はい。無事に、誰にも見咎められずに」
答えながら、利勝は主の身体に手を伸ばした。
よく鍛えられた武将の身体だ。
それなのに、いやそれだからこそ、と言うべきなのか。
男に抱かれた残滓をまとわりつかせたまま絹の茵の上に手枕で横たわる姿が倒錯感を煽る。
これが今の天下の主だ。
征夷大将軍だ。
利勝の手が天下人に触れた。
足を開かせ、足と足の間の大事なところを優しく拭き清める。

「いかがでしたか?」
「うん?」
「幾人もの男を召し上がってこられたその身体を、初恋の相手に晒すお気持ちはいかがなものか、とお伺いしております」
優しい手つきはそのままに、優しい声音もそのままに、優しくないことを言う利勝に、彼の主はくすくすと小さな声を立てた。
「どうした?いつもはそんな意地悪言わないのに」
「言わせる貴方が悪いのですよ」
「そういうものか」
「そういうものです」
言葉を交わしながら、流れるような所作で主に身を起こさせ、裸体に夜着を着せかける。

「利勝」
名を呼び、彼は夜着の帯を結ぼうとしている男の手を掴んだ。
「秀忠様?」
驚いたように少しだけ目を見開き、己の名を呼ぶ男をじっと見つめ返す。
秀忠はもう片方の手を利勝の頬に伸ばした。
髭のない頬に指を滑らせ、唇をなぞる。
「おまえは私を欲しいと思わないのか?」
小首を傾げ、にやりと口角を吊り上げた。
虚をつかれたように、利勝は一瞬固まった。
欲しい、と、一言言えばこの身体が手に入る。
利勝はごくりと喉を上下させて唾を飲み込んだ。
それを秀忠は笑ったまま見ている。罠にかかった獲物を見つめる捕食者の目。酷薄な印象を与える白目がちの目がさらに嗜虐的に光るこの瞬間こそ、徳川秀忠という男が最も美しいときだと利勝は思う。

だが、利勝は僅かに残った理性でその魔力を振り切った。
「なるほどそうやって貴方は何人もの男を毒牙にかけるわけだ。この利勝、感服いたしました」
へらっと笑って己の頬をなぞる手を引き剥がす。
秀忠は面白くなさそうに口を尖らせた。
「一瞬惑わされましたが、なにぶん私は貴方が赤子の頃から仕えておりますのでね。この手でおしめを代えたこともある身体に欲情なんてしませんよ。それに」
「それに?」
秀忠がじとりと利勝を睨み上げる。
明らかに機嫌を損ねている主君をさらに茶化すように利勝は言った。
「我らは兄弟ではありませぬか」

冗談とも本気ともつかぬその言葉を、秀忠は鼻で笑う。
「何を言うかと思えば。確かにおまえは父上のご落胤だ何だと言われているが、その風説を一番嫌っているのはおまえだろうが。だから髭も剃り落としたんだろう」
「狸顔に髭面というだけで『大炊頭は大御所様に生き写しだ。ご落胤という噂はやはり』と皆がうるさいので。自分ではさして似ているとも思えませんし、まあ仮に似ていたとしても顔が似ているだけで親子だというのも馬鹿げていると思いますがね。現に、大御所様の実子であられる貴方はちっとも似ておられない」
「おまえが父上の子だと言われたくないのは」
「私の実の父が可哀想でしょう?それに、実力で得た地位をそのように邪推されるのは本意ではありません」
「それだけか?」
先程の魔性はなりを潜め、縋るような目で秀忠が問うた。間髪を入れず、表情も変えず、利勝はそれだけです、と返した。
「さ、もうお寝みください。明日も早いのですから」
何か言いたげに秀忠の視線が彷徨う。が、結局彼は何も言わずに身体を横たえた。
主が目を閉じたのを見て、利勝が明かりを吹き消す。

「秀忠様」
闇の中、かすかな声で育ての君の名を呼んだ。
寝入ってしまったのだろう、返事はない。
いつもそうだ。利勝が側にいると秀忠は安心しきって少しのことでは絶対に目を覚まさない。
秀でた額、高い鼻、薄い唇を触れるか触れぬかのあやふやさでなぞる。
「弟であっては困る」
低い声が闇に溶けた。
「こんなに恋しい貴方が実の兄弟であっては困るのだ」
利勝の懺悔は続く。
「どうかお許しください。この醜い独占欲を」
秀忠を取り巻く他の男達のような優れた容姿や煌めく武功を自分は何も持ち合わせていない。少なくとも利勝は己をそう評価していた。
そんな自分が一人前に主の身体を求めたところで、きっと秀忠はすぐに飽きてしまうに違いない。
だが、一線を越えぬ限りは。この男の魔性に堕ちぬ限りは。
自分は『特別』でいられる。
この欲望に彼は気づいているだろうか。

「……いつまで保つかな」
利勝は笑った。

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