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水月庵

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麗しき紅梅の君

古人→入鹿

「きゃーっっ、古人さまよっ!」

蘇我邸に、侍女達の黄色い声が響き渡る。

すらりとした長身。
やや垂れ気味だが、涼やかな目元に、形の良い唇。
偶然なのか計算なのか、冠から一筋零れ出た黒髪。
漂う甘い香りは彼の人が手にした梅が枝のものかそれとも彼自身のものか。

手折った梅の花を手に蘇我邸を訪れた古人大兄皇子は、いかにも女人の好みそうな色男、イケてるメンズ、すなわちイケメンであった。

古人は、うっとりと自分を見つめる侍女達に微笑みかける。

「やあ、僕の可愛い小鳥ちゃんたち」

不細工な、いや普通の男が口にしたならば、全身に鳥肌が立ち、瞬時に5、6メートルは引いてしまいそうな台詞である。
が、この男が言うと侍女たちの歓声はさらに大きくなるのだから不思議だ。






「あ、あの、皇子さま……」

姉御肌っぽい侍女に後押しされた大人しそうな侍女が古人の前におずおずと進み出る。
頬を桃色に染めたその可憐な侍女の手には、蘇。
古代のチーズである。

「皇子さまが、蘇がお好きと伺ったものですから、あの、私、皇子さまのた」
「ああそんなことより」
私、皇子さまのためにつくりましたの、と言って蘇を差し出そうとした侍女の言葉を無情にも『そんなことより』とぶったぎる古人。

「ちょうど良かった。君、入鹿どののところまで案内してくれ」

侍女は一瞬固まった。
昨日、徹夜してつくったのに。
というか、彼のことを想ってかれこれ7日は眠れぬ夜を過ごしたのに。
私の、一世一代の大告白だったのに。
『そんなこと』で片付けられたばかりか、皆まで言わせてもらえなかった。

「早く」

古人はそんな侍女をせっつく。

侍女は涙目になった。
なんと酷い男であることか。
きれいな顔した優しい男かと思いきや、古人は結構最低な男であった。

でも、そんなあなたも素敵!by 侍女一同

* * *

「なんか屋敷が騒がしいと思ったら、やっぱりあんたか」
部屋の主は読んでいた書物から顔を上げ、今にも泣きそうな顔の侍女に案内されてやって来た色男を見るや、呆れ顔でそう言った。

部屋の主は蘇我入鹿。
古人の三つ年上の従兄である。
今日は家の中だからか、少し癖のある髪を後ろで一つに緩く結っただけであるし、幾分寛いだ格好をしている。

彼の琥珀色の目と自分の目が合った瞬間、古人の胸がズキ、と疼く。
長い間、その琥珀色の目に見つめられていたのだと思うと、書物にすら嫉妬を覚えてしまう。
そう、この色男古人、目下のところ年上の従兄に桃色の片思い中であった。

「お久しぶりです、入鹿どの。
 先程外を歩いていましたら、ちょうどこの紅梅が。
 この匂いやかな美しさがまるであなたのようだとっ……おあふっ!」

貴公子オーラ全開で甘い台詞を口にしつつ、入鹿に近付く途中、古人は床に散らばる書物に蹴躓いた。
そして、図らずもハワイか何処かの島の名前を叫びながら、思いっきり頭から床へ突っ込まんとする古人。

「危ないっ!」
叫びながら、入鹿が立ち上がる。
そして、バランスを崩した古人の身体を寸でのところで受け止めた。
だが、自分よりも体格のいい古人の身体を支えきることができず、結局入鹿ごと倒れてしまい、入鹿は古人の下敷きになってしまった。

あれ、これってもしかして、俗にいう『押し倒す』ってやつ……?

古人は、自分の下にある入鹿の顔を覗き込んだ。
入鹿は苦笑している。
「変わんねぇのな、あんた。
 いきなり俺の背丈追い越しやがって見目も良くなって、女にもちやほやされるようになったってのに。
 相変わらず、そそっかしい奴」

「いいいいいや、その」
至近距離(しかも自分の下)にある入鹿の笑顔に、顔を真っ赤にしてどもる古人。
「あああああのですね、入鹿どの。
 僕がどもるのも、落ち着きがなくなるのも、梅を手折って渡したいと思うのも、それは……。
 全部全部それは、あなただからなんですよ!」
半ば叫ぶようにそう言いきった古人は、ハーハーと肩で息をしていた。
まるで甘樫丘をうさぎ跳びで駆け上がって来た直後のようだ、と入鹿は思った。
思いながら、自分の上にのしかかっている古人を押しのけた。


私のことはあんなに冷たくあしらうくせに、入鹿さま限定で純情なんて……悔しいけど、……萌える!by 覗き見してた涙目侍女

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