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水月庵

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蜜の罠

山部立太子をめぐるいざこざの話。
なんかちょっとやらしくなった気もするけどこれくらいなら大丈夫だよねー!ウフフオッケー♪♪



「百川(ももかわ)、おまえ今何と言った」
 山部(やまべ)親王が咎めるような口調で言った。
 男の腕の中から半ば身を起こし、その切れ長の目で先程まで己を抱いていた男を睨む。
「井上(いのえ)皇后の『お相手』をしていただきたいと申し上げました」
 男ーー藤原百川は山部の眼光にも全く動じる様子を見せない。
 彼は秘め事の続きのような甘い声でとんでもないことを囁きながら、山部を再び腕の中に捕らえた。
 百川の上に半身を乗せるような形で寝そべる山部のうなじに触れ、そのまま背骨に沿って下のほうへと手を這わす。




 その更に下のほう、尻の割れ目に指を潜り込ませると、山部の身体がびくりと震えた。穴の中へ戯れに指を埋める。情事の余韻でまだ解れて熱を持ったそこは、淫猥な水音を立ててすんなりと指を呑み込んだ。
 山部が縋るように百川の髪を掴んだ。
「これ以上はもう無理だ。頼むから……」
懇願する山部の頭をもう片方の手であやすように撫でながら、百川はゆっくりと指を引き抜いた。
 先程自分が中に出したもので白く汚れた指を月明かりにかざす。親王と呼ばれるその人を完全に自分の下に置いているのだという証左であるそれを満足げに見ていると、山部が赤い顔で百川の髪を引っ張ってきた。
「変態」
 山部の抗議に、百川はくすくす笑う。
「その言葉はあなたの父親と義母に言って差し上げるといい」

 百川は山部の耳に囁いた。
「帝と后が悪趣味な賭け碁をした話はお聞き及びですね?
 帝が勝てば后が帝に美女を、后が勝てば帝が后に美男を贈ると。
 勝負には后が勝ちました。
 俺は帝から美男を見繕ってくるよう仰せつかってしまいましてね」
「……私を色惚け婆に売り渡すつもりか? ひどい奴」
「仕方がないでしょう? 俺はあなた以上に美しい方を知りません」
 耳触りの良い言葉で体よく丸め込まれている。そう感じながらも、山部はおまえの言うままにしてやろう、と頷いた。



 その翌日、山部は礼服を身に纏って井上皇后の宮を訪れた。
「我が君が用意した”美男”がよもやそなたとはのぅ」
 髪に挿した絢爛豪華な釵子を揺らして井上が笑う。五十路も半ばの老女。金銀で飾り立てた髪にも白いものが目立つ。だが、その華やかな顔立ちからはかつては目を見張るほどの美女であった残滓が窺い知れた。
 山部はちらりと皇后の様子を伺った。女の盛りを過ぎて尚、自分のことを美しいと信じて疑わぬ顔をしている。
 これならば容易い。山部は心の中で舌を出した。
 跪く山部の頤を井上が手にした翳(さしは)で持ち上げる。
「ほんに良い男じゃ。我が君にはちっとも似ておらぬ」
「他ならぬ貴女様にそう言っていただけるとは恐悦至極に存じます、皇后陛下」
 そう言いながら立て膝のまま山部は皇后ににじり寄り、その手を取った。年を重ね、血管の浮いたその手の甲に口づけながら、山部は尚も言う。
「畏れながら皇后陛下。御名を呼ぶことを私にお許しいただけますか?」
 若い美男が跪いて自分の愛を乞う様をうっとりと眺めつつ、井上は頷いた。



 どうやら山部はいとも簡単に皇后の身と心を射止めたらしい。井上皇后は一目もはばからず山部親王を常に侍らせている。ついには皇后は自らの子らに山部のことを父と呼ばせているなどと官人達が口さがなく噂しているのを聞き流しつつ、仕事を終えた百川は山部の邸へと向かった。
「今宵は邸にいたのですね。珍しい」
 いつもの決まり事で、全ての使用人を遠ざけた山部の居室で二人きり、向かい合って酒を飲みながら、百川が言う。
「今日は珍しく父上が井上の元へお渡りになるらしい。いい加減、業を煮やしたのだろうな」
 酒をあおりながら、山部がくすっと笑う。
「皇后陛下の諱を呼び捨てとは。いいご身分だ」
 山部に合わせて笑いながら、百川は言った。杯を膳の上に静かに置く。
「百川……?」
 笑みの中に何やら不穏なものを敏感に感じ取ったのか、山部が訝しげな表情で男の名を呼んだ。
 百川は杯を持つ山部の腕を掴んだ。その力の強さに、思わず山部が杯を取り落とす。甲高い音を立てて杯が割れ、零れた酒が木の床を濡らした。
「あなたは本当に、誰とでも寝るんだな。高貴な皇族が聞いて呆れる」
 吐き捨てるようにそう言った百川の顔には、もう笑顔はなかった。
「な……何を言うかと思えば。私はおまえの言う通りに……」
 取り繕うように愛想笑いを浮かべて言う山部の頬を百川は平手で打った。
 予想だにしなかった衝撃に、山部の身体が床に倒れ臥す。緩く結われた柔らかな髪が床にふわりと広がった。
「百川……」
 事態が呑み込めず、きょとんとした顔で山部が百川を見上げる。そんな彼が身を起こす隙を与えず、百川は山部に伸し掛かった。
 山部に両腕を上げさせてその手を彼の頭上でまとめて片手で押さえつけ、もう片方の手を鮮やかな色の袍の中へ潜り込ませる。よく知ったその手の感触に、山部の身体から力が抜けた。と同時に、山部が薄い唇を歪ませて笑う。
「何がおかしいんです」
 腕を抑える百川の手に力が入る。
「おまえが嫉妬してくれるなんてな」
 さも嬉しそうに、山部は尚も笑う。虚を突かれて百川の力が緩んだその隙に、山部はその手の下から腕を引き抜いた。身体を起こし、腕を百川の背に回す。そのまま、百川の唇に軽く口づけた。百川の舌に口内を犯される前に、素っ気なく顔を離す。
「良い口直しをさせてもらった」
 にやりと笑い、山部が濡れた唇を拭う。彼は百川の身体を押しのけて立ち上がった。
「百川」
 愛しい男を見下ろし、その名を呼ぶ。
「何です」
「私とて馬鹿ではないからな。おまえが何故私に皇后に身売りしろなどと言い出したのか、理解はしている。……もうすぐだ」
 山部の言葉に、百川も彼を見上げて笑った。
「良い子だ」



 宝亀3年3月、平城の京に衝撃が走った。帝を呪詛したかどで井上が突如として皇后を廃されたのである。その二月後には皇后所生の他戸親王も東宮を廃された。代わりに立太子したのは、生母の血筋の低さ故に四品に留まっていた山部親王であった。

「あの誇り高い皇后、いえ元皇后を呪詛に走らせるとは。一体どんな手を使ったのですか、東宮殿下?」
 言いながら、百川は山部が身に纏う東宮としての豪奢な衣を一枚一枚剥いでゆく。
「私はただ、私が帝で貴女が皇后、他戸が東宮などという未来があればどんなに幸せでしょう、と言っただけ」
「ほう?」
「こんなに貴女を好きなのに貴女が父のものだなんて……とも言ったな」
 我ながら陳腐なことばかり、と山部は笑った。光沢を放つ錦の衣が散らばる茵で東宮が臣下に脚を開く。
「結局のところ、私は、……おまえのやり口を真似ただけだ」
 胸を吸われて少し息を乱しつつ、山部は言った。 身じろぎしつつ、百川の頭を両腕で抱える。
「私はおまえに、私が必要だと言われたとき、嬉しくて天にも昇る気持ちだった。
 最高の男に縋られるのは最高に気分が良い。
 ……誰でもそうなんだろうなって思った。だから」
「……山部様」
「何だ?」
「不穏の種は完全に絶たねばならない。俺はいずれ、井上廃后と他戸廃太子を殺します。
 覚えていてください、山部様。
 あの二人を地獄に叩き落とすのは俺だ。この罪は全て、我が身に」
「水臭いこと言うなよ」
 おまえの行くところならどこへだってついて行きたい。
 山部はそう言って、その身に受け入れた百川をぎゅっと締め付けた。

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