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水月庵

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狂気に関する手記

ちょっと胸糞悪いかもしれないです。

 泊瀬部内親王(はつせべないしんのう)。
 人々はわたくしのことをそう呼びます。

 わたくしは後に浄御原帝(きよみはらのみかど)、あるいは天武天皇と呼ばれる人の娘としてこの世に生を受けました。
 母は采女上がりの女性でございましたが、わたくしを含め四人の子女を産んでおりますことから、きっと深く愛されていたのでは、と恥ずかしながら思っている次第でございます。
 何ぶん特殊な家柄でございますから、並の家族のようにとは参りませんが、それでもわたくしは尊敬すべき父と優しい母と兄、そして可愛い弟妹に囲まれてすくすくと育ちました。
 かの戦乱の折、兄の刑部(おさかべ)は父に付き従って吉野へ参りましたが、女でしかもまだ幼いわたくしは弟妹とともに母の懐で守られ安穏と暮らしておりました。
 そして骨肉の争いの末、見事に勝利を収めた父は飛鳥浄御原宮にて即位し、それに伴ってわたくしも『皇女』と呼ばれる身の上になりました。






 さて、兄の刑部には一人、無二の親友とも呼ぶべき方がおられました。名を川島皇子、と申し上げます。
 彼は淡海帝(おうみのみかど)の皇子でございましたので、兄やわたくしから見て従兄ということになります。
 実直を絵に描いたような、と申しましょうか、優しく穏やかな御方でした。

 年頃を迎えたわたくしは、この川島皇子さまの妃になったのでございます。
 淡海帝の皇子である川島さまと、浄御原帝の皇女であるわたくし。
 もちろん、二人の思うままに結ばれたわけではございません。この婚姻には父を始めとする上つ方の思惑が絡んでおりました。
 ですが、わたくしは少女の頃より川島さまに淡い想いを抱いておりました……いつか誰かの妻になる日が来るのならば、このような御方に嫁ぐことが出来れば幸せだと。

 もちろん高貴な御方の常として、夫に他の女性がいなかったわけではありません。ですが、夫はわたくしのことを正妃として大切に慈しんでくれました。
 また、兄と夫の親交も穏やかに続いており、今思い返してみても、あのときの何と幸せだったことでしょう。
 兄から夫の話を、夫から兄の話を聞く度にとても微笑ましくて、でも少し妬ましいような、何とも不思議な心地がしたことは昨日のことのように覚えております。
 刑部と歴史書の編纂を指揮することになった、大仕事だが彼と一緒ならば心強い、と無邪気に笑った夫の顔。今思い出しても、胸がじわりと温かくなります。
 ですがたったひとつだけ。
 兄に会えるのは嬉しいことではございましたが、兄ときたら、いつも間の悪いことに夫がわたくしを訪なうときに限ってやって来るのです。
 もう少し配慮というものをしてほしかったわ、と拗ねてみたりもしたものでした。

 兄と夫が父帝の第二皇子である大津皇子さまと誼みを結ぶことになったのは、その二年程前、主立った皇子樣方で吉野に出向かれ、何やら誓約をお立てになった折でございましたか。
 わたくしは大津皇子さまのことは直接は存じ上げませんが、才気煥発で誰からも愛される、素晴らしい御方だったというふうに聞いております。
 大津皇子さまは漢詩がお得意でいらして、夫も漢詩はよくいたしますので、きっと話も合ったのでしょう。
 今まで兄のことしか話さなかったといっても過言ではない夫が、わたくしの前でも大津皇子さまの話をよくするようになりました。
 兄も戦乱の折に寒い吉野で身を寄せ合って暮らした大津皇子さまには思い入れがあったようですが、それにしても、夫の大津皇子さまへの傾倒ぶりは……。はしたないことでございますが、わたくしは思わず大津皇子さまに嫉妬してしまったこともございます。

 きっとその頃から、歯車は徐々に狂っていたのでしょう。
 それが決定的になったのは、父の崩御がきっかけでした。
 大津皇子さまが謀反を起こされたのです。わたくしの夫も巻き込んで。
 夫はわたくしには何も言いませんでした。ですがとても懊悩していたことは知っております。
 そして、苦しい胸の内を兄……夫の無二の親友で、大津皇子さまの友でもあった兄、刑部にだけは相談していたことも知っております。
 結果として、夫が謀反に加担することはありませんでした。悩んだ末に夫は大津皇子さまの謀反を皇太子草壁皇子さまに密告したのです。
 草壁皇子さまは大津皇子さまに自頸をお命じになりました。
 自らの命を絶つ直前に大津皇子さまが詠まれた辞世の和歌、そして、妃の殉死。ご自分とその妃の死を以て、大津皇子さまは悲劇の英雄となりました。
 ええそうです。大津皇子さまは民草の涙を誘う悲劇の英雄。そして彼を死に導いたわたくしの夫は……。

 大津皇子さまの謀反を密告した夫はその忠誠を朝廷から賞され、厚く遇されました。
 けれど、人々の心は正反対。薄情者、卑怯者と後ろ指を指され、夫は次第に心を病むようになりました。
 夫は何も悪いことはしていない。ただ己の良心と忠心に従っただけなのに。わたくしは、わたくしだけはこの方を支え続ける。わたくしは心に誓いました。思えば、幼い頃は母と兄に、長じてからは夫に守られてぬるま湯の中で生きてきたわたくしが何かを強く誓ったのはこのときが初めてでございました。
 心ない人の批判に晒され、見る影も無くやつれてしまった夫にわたくしは寄り添い続けました。
 そして、兄もまた。
 昔と変わらず親友として夫に接してくれる兄を、どれほど心強く思ったことでしょう。
 おまえは正しいことをしたんだ、辛かっただろう、だが大丈夫だ、俺がついている……兄は言葉を尽くして夫を励まし続けてくれました。

 ただその一方で、兄は私に言ったのです。裏切り者の妻など辛いだけだ、悪いことは言わないから、川島とは別れろ、と。
 そして、わたくしは知っておりました。夫にあんなに優しく接してくれる兄が、公の場では一度も夫を庇わなかったことを。
 兄に不信感を抱かなかったと言えば嘘になります。ですが、わたくしは優しい兄を信じておりました。
 兄も自分の立場という物がございますし、何より『川島皇子から相談を受けた刑部皇子が密告を促した』などという口さがない噂もございました。夫の悪評があまりにも大きくなりすぎた今、兄は表立って彼を庇うことはできなかったのでしょう。そして『川島皇子の親友』としての立場ではなく『泊瀬部皇女の兄』という立場でわたくしのことをも慮ってくれたのでしょう。
 兄もまた苦しんでいるのだ、と、わたくしはそのように兄の言葉を受け止めました。もちろん、夫と別れろという兄へのわたくしの返答が否であったことは言うまでもございません。

 たとえどんなことがあろうと夫の傍に寄り添い続けようと決意を新たにしたわたくしでございましたが、大津皇子さまの謀反から五年を経た年の九月九日、わたくしの結婚生活は突然幕を閉じました。
 夫が死んだのです。病などではなく、自死でした。
 こと切れた夫の枕辺には、わたくしに宛てた木簡がひとつ置かれておりました。涙で歪んだ視界に飛び込んできたそれは、夫が親しんだ漢詩でも和歌でもなく、ただ一文。
 君を守りたかった。
 そう、書かれておりました。
 夫は、優しい夫は、自らの死を以てわたくしを『裏切り者の妻』という立場から解放しようとしたのだ。そのときはそう思いました。
 そして、目が溶けてしまうのではないかと思う程、わたくしは泣きました。

 泣いて泣いて、泣き暮らして、少しだけ心が落ち着いたとき、わたくしはふと思いました。
 君を守りたかった、という夫の言葉。
 本当に、わたくしが思っていたような意味だったのかしら、と。
 夫は一体、わたくしを何から守りたかったのでしょう?

 兄刑部は夫が亡くなってから一度もわたくしの前に姿を見せません。以前はあんなによく訪ねてくださりましたのに。
 そう、川島さまがおいでのときに限って。
 間の悪い偶然なのだと受け止めておりました。けれど、偶然ではないとしたら? 兄が会いたかったのは、わたくしではなかった。
 ……考え過ぎでございましょうか。
 ですが、このように考えると筋が通るのもまた事実なのでございます。
 大津皇子さまを密告するよう夫に勧めたのは兄だったという噂。それはきっと、噂などではなかった。更に言えば、夫の心を奪った大津皇子さまに謀反を唆したのもきっと……。
 兄の言を聞き入れ、大津皇子さまを密告した夫は皆から後ろ指を指され、孤立して……。
 ええそうです。
 夫の周りに誰もいなくなるよう仕向けたのもまた、兄だったのでございましょう。
 
 わたくしは身体の震えを止めることができませんでした。
 兄は待っていたのです。たった独りきりになった川島さまが『無二の親友』である兄に助けを求めてくるのを。
 兄の願いはあともう少しで叶うはずでした。
 わたくしが、兄の言うことを聞いて川島さまの元を去っていたならば。わたくしさえいなくなれば、兄は川島さまの全てを手に入れられた。

 ……とりとめも無いことを長々と書きすぎました。年を取ると話が長くなってしまってどうにもいけませんね。
 この通りわたくしはまだ生きております。
 夫が生きていた時と比べ、都も遷り、時代は大きく変わりました。わたくしの身分もいつの間にやら皇女から内親王へと変わり、四年前には三品という位もいただきました。
 律令の施行や歴史書の編纂などといった時代を変える大仕事を担った当の兄も三十年以上も前に死にました。
 そしていよいよわたくしにも、そのときが来たようです。見苦しい老婆と成り果てたこの姿を愛しい夫の前に晒すなど、なんと情けないことでございましょう。
 お兄様、笑っていらっしゃいますか?
 邪魔者のおらぬそちらの世界はさぞや楽しゅうございましょう?

 愛しき我が背の君。
 黄泉でもあなたに愛していただくには、まずお兄様にいなくなっていただかなければならぬのですね。
 あの兄と争うなど、年老いたこの身には些か骨の折れることでございますこと。

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