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水月庵

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月の夜 4

后になってからも小野王の酒癖は治らず、彼は決して賢后とはいえなかった。例えばこんなことがあった。ある宴席にて瓜が饗されたのだが、その皮を剥くための刀子がなかった。そこで弘計は后に命じて私の元へ刀子を持ってこさせたのだが、すでに酔っていた小野王は立ったまま無造作にどん、と刀子を置いた。それだけならばまだいい。ますます酔った彼は、酒が切れたと言ってあろうことか日嗣たる私に酒を持ってこさせたりと、狼藉の限りを尽くしたのである。当然腹は立った。だが、どんなことをしても不思議と許してしまうような妙な愛嬌を持っているのもまた、彼であった。
 そして、気性の激しい弘計大王を時に宥め、時に諌め、彼を賢君たらしめているのも他ならぬ小野王であることは、私のみならず百官もよく理解していた。だからこそ、私も含め、民は皆、素行が悪くしかも子も生さぬ后を敬して奉るよりほかなかったのである。






 あれは、弘計が即位して二年目の夏のことだった。弟は私を居室へ呼び寄せた。人払いをした部屋で、弟は言う。
「兄さんに頼みがある」
 思えば、弟が私に何かをお願いしたことなど、大王の位を譲り合ったことを除けばこれが初めてだ。
「幼武大王の墓を暴いてほしい」
 豪奢な衣をしどけなく着崩し、脇息に凭れ掛かった弟は平坦な口調で言った。
「いきなり何を仰せられます、大王。
 親の仇を憎む気持ちはよく分かります。
 ですが、幼武大王が民に慕われる偉大な君主であったことは事実で、しかも、彼は私達を見いだしてくださった白香大王の父君であらせられます」
 畏まった口調で言う私を弟は笑う。
「他人行儀はよせよ。どんなに地位が変わろうと、俺は兄さんの弟だ。そして、幼武大王に殺された押磐王子の息子。更に言えば、そのせいで散々身体を弄ばれた哀れな男娼上がりの薄汚い男だ」
 今や押しも押されもせぬ大王の位を手に入れた弘計が為すことに表立って逆らえる者などいない。しかし、いくら親の仇とはいえ仮にも大王であった方の陵を壊せば、間違いなく彼は後世に非道の烙印を押されることになるだろう。私は兄として彼を諌めるべきだ。
 そう思う反面、私は、それはそれでいいのではないか、とも思う。後世の評価など知ったことか。大事なのは、今の弟の心だ。伴侶を得ても尚癒されぬ心の傷に、弟が救いを求めたのは他の誰でもない、私なのだ。
 そうだ。私が独りで為したことにすればいい。そうすれば、弟の名に傷はつかない。私はやっと、彼を守ることが出来る。
 私は、弟に諾と答えて彼の部屋を後にした。

「本当に墓荒らしをするつもりですか」
 弟の部屋を出てすぐに声をかけられ、驚いて振り向くとそこには小野王がいた。普通の男の装いで酒瓶を手に佇む彼は、いつものことながらとても大王の后には見えない。
「それが陛下の望みとあらば」
 そっけなく返した私に、小野王は食い下がった。
「今更死人の墓を荒らしたところで、それが何になる。それで誰が救われる?
 あなた達の父親が蘇るとでもいうのか。
 弘計の傷が本当に塞がるとでも?」
「どうすれば弟を救えるのかなんて、私にも分からない。
 だが、私が独りで為したことにすれば、少なくとも大王の名に傷はつかない」
 だからどうか見過ごしてくれ、と言う私に、小野王は声を荒げた。
「ふざけるな!
 そこまで弟を思うなら、あなたはあのとき、忍海部を殴り飛ばすべきだった! 違うか?
 そんな度胸もなかったくせに、今更弟思いの兄を演じるな!」
 何も知らないあなたが何を言う。そう言いたかった。だが、言えなかった。恐らく彼が私であったなら、迷いなくそうすると思ったから。そして、きっと彼は何も知らないわけではないと思ったから。弘計はおそらく、伴侶にすべてを打ち明けたのだろう。すべてを承知の上で、小野王は弟を愛したのだろう。
「ではどうすればいいのですか。教えてくださいよ、お后様」
 当てこすりのような私の言葉に、小野王は意外にも真摯に答えた。
「陵の傍の土を少し掘り返すだけでいい。
 それで大王の命に従ったことにはなるし、それくらいなら幼武大王を辱めたことにもならないでしょう。
 弘計は怒るでしょうが、それは俺が宥めます」
 私は少しだけ、この男を見直した。弘計に選ばれた彼は存外聡明なのかもしれない。
「弘計の名に傷をつけてはならない。それは尤もです。
 ですが日嗣王子。それはあなたにとっても同じこと。
 あなたは弘計が富ませた国を継ぐべき方なのですから」
 まっすぐに私を見据え、彼は言った。どういう意味だと聞くと、彼はわずかに視線をそらしつつ答えた。
「何故弘計が俺以外の妻を迎えないのかご存知ですか。
 俺を愛してくれているからだと言いたいのも山々ですし事実そうなのだとは思いますが、それ以上に、彼は子を生したくないのです。
 弘計の子はそう遠くない未来に、あなたを殺すから」
 言うだけ言って、小野王は去っていった。あまりにも私にとって都合の良い言葉を信じても良いのだろうか。私を守るために、私に国を譲るために、弘計が子を生さないなどと。
 結局私は、后の言う通りにした。申し訳程度に陵の土を掘って復命した私を、弟はただ一言、良きかなと言って労った。すっかりと険の取れた表情。私が与り知らぬところで、小野王が何か言ったのだろう。またしても、彼の心を癒したのは小野王だった。
 それからというもの、私は身を粉にして大王を支えた。后である小野王もまた。少々歪ながらも、歯車は万事良いほうに向かっているように思えた。

 弟が病に倒れたのはそれから一年も経たない春のことであった。
「今日は少しだけ調子がいい」
 病床を見舞った私に、身を起こしながらそう言って弟は笑った。
「いよいよ兄さんに位を譲る時が来たな。
 なあ兄さん、この国はあなたの目にはどう映る?」
 憎き親の仇が富ませ、愛しい弟が支えたこの国。どう思うかと問われれば、私の答えはひとつ。
 国などどうでもいい。私の全ては愛しい弘計、おまえ一人だ。
「兄さん」
 私の狂気を知ってか知らずか、弟は静かに私を呼んだ。
「実のところ、俺はもう父様のことはよく覚えてない。
 でも、兄さんと一緒に逃げたあの日々のことは覚えてるよ。
 随分と、遠いところまで来たものだ」
 私は弟の手を握った。痩せ衰えた手。血色を失くした肌。だがそれでも、弟は美しかった。太陽神と称えられる天照大神だって、彼の美しさにはきっと適わない。
 自分の手を握る私のそれを、弘計はそっと口許へ寄せた。彼の柔らかな唇が手の甲に触れる。
「兄さん。兄さんはずっと俺のことが好きだっただろ?」
 病床で弟がいたずらっぽく笑う。
「兄さんは俺を抱きたかった? それとも抱かれたかった?
 いいぜ、今なら兄さんの思うままに」
 温かい肌。冷たい髪の感触。芳しい吐息。何もいらなかった。弟さえ、私だけのものでいてくれるならば、閉じた世界で私は永遠を得られた。
 だが、私は手を離した。愛しい弟、弘計よ。おまえはどこまで残酷なんだ。どうせ、私のことなど見てもいないくせに。
「早く病を治してください」
 そう言うのが、精一杯だった。弘計は痩せた頬にいつもの笑みを浮かべた。
「無理だって分かってるくせに」
 弟はその細い指先で、私の頬を撫でた。
 国に豊かな実りをもたらした弘計大王、後の世に顕宗と諡される彼が崩御したのは、それから程なくしてのことだった。
 子のいない大王の跡を継ぐべきは、当然ながら私である。



 難波小野王は静かに杯を置いた。月はもう山の端に沈んでいる。
「これからどうなさるおつもりですか」
 私は問うた。
「どう、とは?」
「あなたはまだ若い。それに、先代の后とはいえ、あなたは男性だ。
 ただの王族に戻って妻を娶り子を生す道もある。
 もしそう望むならば、助力は惜しみませんよ」
 私がそう言うと、小野王は笑って首を横に振った。
「こんな酒乱男に嫁ぎたい姫がいると思います?
 それに、何かにつけて弘計と比較されながら暮らすなんて、その姫があまりに哀れじゃありませんか」
 そう言って、彼は立ち上がった。
「自分の宮へ戻ります。
 今夜は久しぶりに楽しい夜を過ごせました」
 私に向き直り、深々と頭を下げる小野王に、私も会釈を返した。彼は何も言わなかったが、おそらくこれが彼と会う最後になるだろう。

 太后、難波小野王が自ら命を絶ったのは、それから三日後のことだった。

何か色々すみません。
私は勝手にオケヲケ兄弟を和製ヘンゼルとグレーテルと呼んでいるのですが、この兄弟仲良すぎフオオオってなったのがことの発端です。
あと、私はアホの子なので「難波小野王」という字面と子供がいないという記述を見て、男……? って思ってしまいまして、このようなことになりました(普通に額田王とかいるのにね)。
いやでも、后の名前って皇女以外はだいたい○○ヒメノミコトとか書いてるしさ……。
それから、このお話、だいぶ史実をねじ曲げております。
┌(┌^o^)┐ホモォ…妄想については言わずもがなですが、実はオケとヲケが白香大王(清寧)に拾われたのは彼らが30過ぎてからのことです。この小説の通りに時系列が進んでたら、幼武大王(雄略)の治世が数年しかないことになり、数年の間にあの膨大なエピソードをこなそうとすれば超過密、分刻みのスケジュールになりますね。お詫びして訂正いたします。

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