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水月庵

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月の夜 2

そのまま、数年が過ぎた。この邸へ来てすぐのときは幼い童だった弟も、細く引き締まった身体と涼しげな目元が特徴的な少年へと成長していた。弟の成長はもちろん喜ぶべきことのはずである。それから、この数年で私達の待遇も随分と改善されていた。仕事は相変わらず辛かったが、鞭打たれることはなくなった。それに、充てがわれる部屋も、母屋のこざっぱりとした部屋に変わった。それも、喜ぶべきことのはずだ。だが、私はそれらを手放しで喜ぶことはできなかった。
 子供らしい甘やかさが削ぎ落とされ、日に日に美しくなる弟。弟は最近、牛馬の世話などといった仕事に従事することはなく、いつも小綺麗な衣装を纏うようになった。時には腕輪や首飾りなど、装飾品を身につけることすらあった。そんな弟を、使用人達もどこか一目置いた態度で遇した。
 そのことを、やはり名乗りはせずとも身の内からにじみ出る高貴な生まれの為せる技か、などと考えるほど、私は愚かではない。






 弟はほぼ毎夜、新しく充てがわれた部屋をこっそり出て行く。そして明け方近くになって、これまたこっそり戻ってくると、私にくっついて束の間の眠りに落ちるのだ。
 弟が夜部屋を抜け出して何をしているのか、大体察しはつく。だが、私は問いただすのが怖かった。私がぐっすり眠っていると信じて身体を寄せる弟を、私は毎日、寝返りを打つ振りをして抱きしめた。弘計はいつだって、私の前では無心に兄を慕う可愛い弟のままだ。

 その夜、私は寝ずの警護を仰せつかっていた。月の光を頼りに、庭を歩く。思えば、この夜も満月だった。私以外に人はいないはずの庭に、微かな物音が響く。すわ侵入者か、と、私は物音がした方へ歩を進めた。結論から言えば、物音の正体は侵入者などではなかった。だが私にとっては、侵入者だったほうがいくらかましだった。
 男の無骨な手によって晒された白い肌が月夜に浮かび上がる。静まり返った真夜中だ。距離はそこそこ離れていたにもかかわらず、男の手が動く度にその白い肌の主が発する喘ぎ声にも似た吐息が私の耳を刺した。
 こんなもの見たくない。そう思うのに、私は彼から目を離すことができなかった。
「細目様……」
 少年の掠れた声が、悩ましげにこの邸の主人の名を紡ぐ。いつも慕わしげに私を兄さんと呼ぶあの声と全く同じ声で。もはや彼の纏う服は申し訳程度に腕や腰に絡まるだけとなり、その綺麗な身体があらわになる。少年は地面に横たわる男に跨がった。その喉から、声にならない声が漏れる。男に下から突き上げられ、解かれた彼の柔らかい髪が細い背で揺れた。少年を犯しながら男は、来目、と彼の偽りの名を呼ぶ。
 私はぞっとした。思わず声が漏れそうになる。犯されながら、少年は笑っているように見えた。まるで、その行為を楽しんでいるかのように。彼は身をかがめて、くすくす笑いながら男の鼻を甘噛みする。そして口づけをねだる。それに気を良くした男の腕が、ますます強く彼の細腰に絡んだ。
 おぞましい。もうこれ以上は本当に見たくない。見ていられない。私はその場を逃げ出し、役目を放り出して厠に駆け込んだ。そして胃の中のものを全て吐き出した。それでも、吐き気は治まらない。

 けれど、その光景を目の当たりにした次の日も、その次の日も、私は今まで通り弘計を抱きしめて眠った。弘計も、私を慕う弟であり続けた。私の弟である清らかな弘計王と、忍海部細目の妾である淫蕩な来目稚子(くめのわくご)。まるで、同じ顔をした全く違う少年が二人いるかのようだった。そんな夜を何度か過ごした後、弟は私に言った。夜が白み始める頃だった。
「今夜、新室の宴が行われる」
 それは私も知っている。かねてより細目が造らせていた新居がいよいよ出来上がり、今夜、その祝いの宴が催されることになっているのだ。
「俺はそこで自分の身分を明かそうと思う」
 二人向き合った狭い室内で、弟は静かにそう言った。淡々としていて、気負いなど一切感じられない、平坦な口調だった。
「何を……」
 私は言葉を失った。
「おまえ、何を言って……。そんなことをしても、殺されるだけだ!
 私はもう王子の地位などいらない。生きて、おまえといられるなら……! おまえが……」
 おまえが、私だけのものでいてくれるなら……!
 声を荒げる私に対して、弟はどこまでも冷静だ。
「でも今程良い機会もないだろ?
 父様を殺した幼武大王はもう死んだ。そして、その跡を継いだ白香大王(しらかのおおきみ)には子がいない。
 兄さん。
 俺達は王族。その昔の去来穂別大王の孫じゃないか。
 身分を明かして、その結果殺されても、それはそれで運命だ。
 俺は後悔しない」
 私は思わず顔を覆った。弟は尚も言う。
「俺はともかく、兄さんはこんなところにいるべき人じゃない。
 兄さんは王族に戻るべきだ。
 そのために俺は今まで……」
 私を、守ってきたとでも言いたいのか。あんなやり方で。そしてもし今夜、失敗したらおまえは。
 私は顔を上げ、弟をまっすぐに見つめた。
「わかった」
 私がそう言うと、弟はようやく喜色を浮かべた。ただし、と私は言う。
「私達の道はいつだってひとつだ。何があっても、一人で死ぬな」
 弟が驚いたように目を見張る。約束だ、と私は畳み掛けた。弟は微笑んだ。そして、何度も頷いた。

 果たして、弘計は見事にやってのけた。新室の宴の席で舞いながら身分を明かしたおまえに、皆が居住まいを正して平伏する。その間を縫って、弟は末席に座る私の元へと足を運んだ。
「さあ行こう、兄さん」
 そう言って私の手を取り、晴れがましく笑ったおまえの勇姿を、私は終生忘れることはないだろう。このときほど、幸せを感じたことはない。
 私を立たせてから、弟は顔色を失っている忍海部細目に向き直った。涼しげな美貌で彼を睥睨しつつ、弟は彼に放つ言葉を考えているようだった。やがて、弟は昂然と言った。
「忍海部よ、大義であった。我々を庇護してくれたこと、礼を言う」
 それだけを言うと、弟は踵を返した。そして、早く歩くよう私を促す。何だか拍子抜けしてしまった。もちろん、弟がその手を血で汚すことなど決して望んではいない。だが、王子の地位に返り咲いた弟が、己を慰み者にしたこの男に何の処罰も下さなかったことに、どこか釈然としないものを感じたのも事実である。

 晴れて王族となった私達は、父の妹、つまり私達の叔母である飯豊王女(いいとよのひめみこ)の宮で生活することになった。そしてその宮には今一人、彼女に庇護されている王族がいた。彼の名は難波小野王。一応王家に連なる血筋とされてはいるものの、その系譜は定かではない。おそらく、私達兄弟が見つからなかった場合の保険としてこの宮で庇護されていたのであろうが、彼は王族としての品性など全く持ち合わせていないように、私には見えた。私達よりもまだ年若い少年の身でありながら、常に酒を飲んでは奇行に走る彼を、飯豊様も持て余しているようであった。私も正直、あまり関わりたくなかった。だが、弘計は違った。弟は、到底王族とは思えぬこの少年を気に入ったようだ。
 この広い宮において、私達兄弟は以前のように身を寄せ合って眠ることはおろか、顔を合わせる機会すら減っていった。それに反比例して、弟が小野王と過ごす時間は増えていく。小野王を隣に座らせて、屈託なく笑う弟の姿を幾度も見た。年相応の、快活な笑顔を見せる弟。相変わらず弟は美しかった。成長に伴い、最近ではその美しさに逞しさも加わってきたようだった。だが、新室の宴の夜の、あるいはあの満月の夜の、魂を揺さぶられるような凄艶な姿を、今の弟から窺うことは出来ない。
 わかっている。これは喜ばしいこと。凄惨な過去を持つ弟から年相応の少年らしさを引き出してくれた小野王に、私は兄として感謝すべきだ。実際、飯豊様は、快活に笑う少年達の姿に、お互いに良い影響を与え合っているようですね、と満足げに笑っていた。

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