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水月庵

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月の夜 1

時代はぐっと遡って億計王(おけのみこ)と弘計王(をけのみこ)兄弟(顕宗仁賢兄弟)の話。億計がブラコンこじらせてたり、弘計が老若男女全部いけるスーパーマンになってたり、后が男だったり、例によって例のごとく暴走気味。

 見上げれば、空には冷たく輝く月。こんな夜は、否が応でもあの日を思い出す。
 儚い月の光など掻き消すように眩く輝く篝火。その光の中で、鮮やかに舞ってみせたおまえ。牛飼いの粗末な服も、おまえが纏って舞えば、絢爛たる舞姫の衣装にも勝って見えた。踏み出した足、翻る手。おまえの一挙一動を、その場にいた誰もが息を呑んで見守った。私も、例外ではなかった。食い入るように自身を見つめる皆の視線を受けて、おまえはやがて、意を決したようにその豊かな声で歌を詠んだ。






 倭者彼々茅原 淺茅原弟日 僕是也

 茅が豊かに揺れる倭の国よ、我こそこの倭の弟王である、と歌うおまえの姿に、この宴の正客である播磨国司は目を見開き、杯を取り落とした。不遜な牛飼いを取り押さえようと、警護の者が足を踏み出しかける。
「やめますか?」
 明らかに動揺している国司に、おまえは挑むように笑いかけた。篝火に照らされて艶然と笑うおまえは、おまえを見慣れているはずの私の目にさえ、まるで神の如く映ったものだ。おまえに気圧されるように、国司は、舞を続けるよう命じた。

 石上振之神榲 伐本截末 於市邊宮治天下 天萬國萬押磐尊御裔 僕是也

 石上の布留御魂大神の御許の木を伐り築いた市辺宮で天下を治めた押磐尊(おしはのみこと)、我らこそ、その裔である。おまえは臆することなく、そう歌い上げた。

 播磨の国の有力者の下働きとして暮らしてきたおまえと、その兄である私は、かくして、播磨国司に見いだされ、宮中へ上がったのだ。
 先代の大王に罪無くして殺された悲劇の王子、押磐尊の忘れ形見として。更に言えば、世嗣を持たぬ大王の跡を継ぐべき、日嗣王子として。

 月を見上げて物思いに耽っていた私は、庭に人影を認めた。

「こんなところまで侵入を許すとは、大王の宮は案外無防備ですね」
 私に見つかったことに気づいた人影は、いたずらっぽく笑って悪びれること無くそう言った。
「これはこれは太后さま。畏れながら、大王の宮に侵入なさるようなならず者はあなた様以外にはおらぬものですから」
 人影に、私も軽口を返す。
「冗談を。この身なりで太后に見えますか?」
 言いながら、庭から無遠慮に部屋へ上がり込む人影は、線の細い美しい顔立ちをしている。だが、纏った衣は男のもの。体つきも男にしては華奢だが、かといって女には見えない。
「お久しゅうございます、太后、いえ、今は単に難波小野王(なにわのおののみこ)、と申し上げましょうか」
 人影、否、小野王(おののみこ)はしなやかな動きで私の向かいに座した。
「本当に久しぶりですね。お会いするのは、弘計の葬儀以来ですか」
「そうなりますね。あなたは私の即位式にはいらっしゃらなかったから」
「お許しください。俺はあのとき、どうしてもあの場には行けなかった。大王になるあなたの姿を見たら、もう弘計がこの世にいないことを思い知らされてしまうから」
 私から目線を外して、独り言のようにそう言う彼は、不本意ながら、実に物憂げで美しかった。

 難波小野王、とは、私の前の大王の正妃の名である。弟の跡を兄が継ぐなど全く前例のないことではあるが、前大王は、私の弟、弘計である。つまり彼、小野王は私の弟の妻ということになる。当然、私は世の理を曲げてまで弟と添うた厚顔無恥なこの男を良く思っていない。むしろ大嫌いだ。だが同時に、ともに亡き弟を偲ぶのにこれほど相応しい人もいない。月を見上げながら、私達は酒を酌み交わした。彼にしては珍しく、今夜の小野王はどれだけ杯を重ねても全く酔わなかった。



 私、億計(おけ)と弟の弘計(をけ)は、去来穂別大王(いざほわけのおおきみ)の子である父、市辺押磐王子(いちのへのおしはのみこ)と、その正妃である母、葛城荑媛(かつらぎのはえひめ)の間に生まれた。王族として、また両親の愛し子として、私達は何不自由なく育った。父が無惨に殺された、あの日までは。その日のことは、今でもはっきり覚えている。秋も深まり、冷たい風が吹く頃だった。父は、大泊瀬幼武王子(おおはつせわかたけるのみこ)に誘われて狩りに出かけた。大物を仕留めてくるから楽しみに待っていろよ、と私達兄弟の頭を撫で、出かけていった父。幼かった私達は、大好きな父の帰りを今か今かと待ち続けた。だが、待てど暮らせど父は帰ってこなかった。父は幼武王子にたばかられ、矢で射られて殺されたのだ。そうして、天下は幼武王子のものとなった。

「王子樣方、ここは危険です。逃げましょう」
 我が家に仕える舎人の日下部連使主(くさかべのむらじおみ)と、その息子の吾田彦(あたひこ)が私達に跪いて言う。そうだ。逃げなければ。幼武王子、いや幼武大王は己の敵となる王族を次々と殺して天下を摑み取った方。いずれ自分の命を脅かす存在になる私達を、黙って見過ごすわけがない。不安げに大きな瞳を揺らす小さな弟の肩を抱きしめながら、私は二人に頷いた。

 夜の闇にまぎれ、私達はひっそりと邸を出た。月のない夜。終わりのない闇と身を刺す冷たい風に、心が押しつぶされそうになった。
 弟を前に乗せ、忠臣親子の先導で私は馬を駆る。
「寒くないか」
 弟に尋ねた。大丈夫だよ、と弟は言う。彼が微かに笑ったのが気配で感じ取れた。いつ追手が来て殺されてもおかしくない。そんな状況なのに。弟は、弘計は、余りに幼すぎて、事態がよく分かっていないのだろうか。
「兄さんとこんなに遠くに行くの、はじめてだね」
 笑っただけではない。弟の言葉は、この逼迫した事態において、余りにも暢気すぎる。
「笑っているのか? おまえ、怖くはないのか」
 私の言葉に、弟は再度、大丈夫だよ、と言った。
「兄さんがいてくれれば、何も怖くないよ」
 私の胸に背を凭せ掛けて、健気にも弟はそう言うのだ。
「そうだな」
 私は頷いた。何度も。
「私もだよ、弘計。私も、おまえがいれば何も怖くない」
 手綱で両手が塞がっていて、弟を抱きしめられないのがもどかしい。
 私はこの一日であらゆるものを失った。優しい父も、暖かい寝床も、二心なく私達を慈しんでくれる大勢の使用人も。だが、一番大切なものはまだこの手の中にある。弟のことだけは、何に代えても守ってみせる。胸から伝わる弟の体温を感じながら、私は心に誓った。
 おまえと一緒ならば、怖いものなどない。私達はどこへだって行ける。なあそうだろう、愛しい弘計。同じ名を持つ、私の弟よ。

 幼武大王の手から逃れるために、私達は丹波国へ、続いて播磨国へと、各地を転々とした。その過程で、私達を守ってくれた日下部連を亡くした。それでも、嘆いている暇はない。逃避行の末に私達が流れ着いたのは、縮見屯倉(しじみのみやけ)の長である地方豪族、忍海部造細目(おしうみべのみやつこほそめ)の邸だった。そこで私達は丹波から来た少年、すなわち丹波小子(たにわのわらわ)と呼ばれることになった。自分自身の名も捨て、私は嶋(しま)、弟は来目(くめ)と名乗った。
 忍海部の家まで追手が来ることはなかった。しかしこの場所は決して安住の地と呼べるものでもなかった。新参者の私達に与えられた仕事は牛馬の世話であった。今まで王族としてぬくぬくと育った私にはこの仕事はあまりにもきつく、役立たずの私には容赦なく古参の者の鞭が飛んだ。すでに一人前の労働力と見なされる年齢に差し掛かっていた私はともかく、下々の者の認識でもまだ子供と見なされる弟には多少の手加減が加えられていたことが、せめてもの救いだった。
「……っ」
 藁を敷いただけの粗末な寝床の上で、私は顔をしかめる。慣れない重労働に身体が悲鳴を上げている。昼間、鞭を受けた背中には鋭い痛みが広がり、背を下にして寝ることができない。
「兄さん、痛むの? 大丈夫?」
 隣に寝転ぶ弘計が、あどけない顔で私を見つめる。
「大丈夫だ。これくらい、どうってことない」
 弟にいらぬ心配をかけまいと私は笑ってみせた。そして、その柔らかい髪を撫でる。髪を撫でられて、弟は気持ち良さげに目を細める。灯りなどはない。だが、今夜は満月だ。あばら屋のそこかしこから差し込む月の光のおかげで、いつもより弟の顔がよく見えた。
 そうだ。これくらいで弱音を吐いてどうする。私は、彼を守らなければならないのだから。
「兄さん」
 弟が私を呼ぶ。
「どうした?」
「俺、絶対に兄さんのこと守るからね」
 弟が私をまっすぐに見つめる。
「いきなりどうした。逆だよ。私がおまえを守るんだ」
 私は思わず笑ってしまった。だが、弟は真剣そのものだ。
「俺だって兄さんの辛そうな姿は見たくないんだ」
 弟は言う。
 正直、嬉しかった。この過酷な環境の中でも、弟は日々まっすぐに成長していたのだ。そう思っていた。

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