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水月庵

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愛している

山背→入鹿

山背大兄王は大きなため息をついた。
手にはある書物を持っている。
偉大だった父、聖徳太子が作った十七条憲法だ。
ーー和を以て貴しとなす、か。
その内容に目を通しながら、山背はまたため息をついた。
そう、父がこれを作った時はまだよかった。
まだ自分が子供だったせいで、大人の思惑が分からなかっただけなのかもしれないが、
でもあのときはまだ蘇我氏と、この上宮王家の関係は上手くいっていたように思える。

…なのに。
一体いつからこんなに対立するようになったのだろう。
血縁も深い蘇我氏と上宮王家なのに、いつの間にこんなにも隔たってしまったのだろう。
あくまでも父、聖徳太子の天皇を中心とする国家をつくるという指針を貫き通そうとする上宮王家と。
皇室と婚姻関係を結び、自らの意のままになる天皇をたて、朝廷の実権を掌握しようとする蘇我氏と、それに甘んずる現皇室。
蘇我氏と上宮王家…ひいては現皇室と上宮王家は、もはや相容れることはないのかもしれない。
…正直そこまで嫌われるようなことをした覚えもないのだが。






ふと脳裏に、幼子の姿が浮かぶ。
まだ五つにもならないくらいの、幼い少年だ。
「そんな顔してたら女にもてねーぞ」
どこで聞きかじってきたのか、そんなませたことを言う少年。
もう、かれこれ30年近くも前の記憶だ。
山背は元々小さな子が苦手で、弟妹たちの扱いにも困っていた。
そんな兄では面白くないのか、弟妹たちはあまり山背に近寄ろうとはしなかった。
なのに、彼はことあるごとに山背にまとわりついてきたのだ。
しかも彼は年が十も上で、しかも皇族である山背に対してもいつもふてぶてしい態度をとっていた。
呼び捨てにはするし、敬語も使わない。
あのときも、いつものようにまとわりついてきて、あまり表情のない山背にそう言った。
ガキの戯れ言に貸す耳はない、と言わんばかりに山背は彼を無視した。
弟妹だったら、それで引き下がるのに、彼はそれでもまとわりついてくるのだ。
そんな彼の態度は、長い間ずっと変わることはなかった。
そして山背は、いつしかそんな彼を心地よいとさえ思い始めていた。

「入鹿…」
誰もいない部屋の中で山背は一人、彼の名前を呟いてみる。
その名を口にするだけで、彼をありありと思い浮かべることができる。
線の細い、中性的なその顔も。
そしてそんな顔に似合わないぞんざいな口調も。
それでも。
…もうおまえは私にまとわりついてくる無邪気な子供でもなければ、愛しい恋人でもないんだな。
山背は覚えずため息をついた。

「山背大兄さま。輿の準備ができました」
扉の向こうから、側仕えの釆女の声が聞こえる。
…ああ、そういえば今日は久しぶりに参内する予定だった。
山背は未だ手に持ったままだった書物を棚に戻して、腰を上げた。

久しぶりに来た飛鳥は、相変わらず活気に溢れていた。
そんなところは得てしてならず者もたくさんいるのだが、この頃は以前と比べれば随分と治安が良くなったように感じる。
どうもあの噂はあながち嘘でもないらしい。
あの噂とは、『蘇我入鹿の威光を恐れて、盗賊ですら道に落ちているものを拾わない』というものだ。
そこまで徹底的に治安の管理をするとはかなりすごい手腕だ。
…やはりそんな辣腕の政治家に、あのときの面影はもはやないのだろうな。
心の中に浮かんだそんな思いに、山背は当たり前だろう、と苦笑を覚えた。

皇極女帝との謁見をすませ、山背は王宮の長い廊下を歩いていた。
すると向こうの方から、今から女帝に拝謁するのであろう人物が一人、歩いてくる。
……入鹿?!
向こうから歩いてくるのは、どう見ても蘇我入鹿その人だった。
例えどんなに顔を合わす機会が減っても、山背がかの人を見間違えるはずはない。
やはり、彼だ。

「入鹿…」
山背はかの人の名前を呟いた。
しかしその声はあまりにも小さかったため、入鹿には届かなかったようだ。
入鹿は近くまで来たところで山背の姿を認めると、端に避けて貴人に対する礼を取った。
その所作はいっそ冷たく感じるほどに完璧だった。
「久しぶりだな、蘇我どの」
山背の声に入鹿は顔を上げた。
もう彼だって三十を少し超えているというのに、その顔は全然年齢を感じさせない。
「大兄さまこそ、お元気そうで何よりです」
それでは私はこれで。
そう言って彼は去っていった。

ーあんたが好きだよ、山背
かつて、彼が言ったその言葉も。
彼の柔らかい髪の感触も。
そして抱きしめれば意外に細いその身体の温かさも。
私はまだ全てを覚えているのに。
でももう、おまえはきっと、忘れてしまったんだろうな…。

無理もない、と山背は苦笑した。
蘇我宗家の次期当主である入鹿は、今頃はきっと他でもなく山背その人を抹殺する計画で忙しいはずなのだ。
もう、私達は親しい幼なじみでもなければ、恋人同士でもない。
政敵なのだと。
…分かっているはずなのにな。

…それでも。
多分おまえは迷惑だと思うだろうが。
心の中でぐらい言ってもいいだろうか。
私は今でも、おまえを愛している。
それは多分、これからもずっと、永遠に。

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