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水月庵

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想いの花

山背×入鹿

宴席を離れて、山背大兄王は外へ出た。
部屋の中からは賑やかな楽の音や笑い声が聞こえる。

今日は蘇我氏の館で藤の宴が開かれたのだ。
今日の宴には、山背の10歳違いの従兄弟で15歳になる入鹿も出席 しているはずだ。
なのに…。
先程から姿が見えない。

どこへ行ったのだろう…。
そんなことを考えながら山背は久しぶりに一人でふらふらと歩いてい た。

「…誰だ?」
ほっつき歩いていた山背の耳に誰何の声が聞こえた。
山背は振り返った。






「…………」
振り返った山背の目には、夜の闇にも映える、見事としか言い様のな い見事な藤が今を盛りと咲き誇っていた。
そして、その中心にはかの人の姿。
見事な藤の花を背に立って、山背のほうを見つめている彼はこの世の 人ではないような感じだ。
…そう、まるで藤の精のような。

「…なんだ、山背大兄だったのか」
そう言って彼ー蘇我入鹿ーはこっちへ来い、と言うように手招きし た。
最初、宴席で見た時にはきちんと結い上げてあったはずの髪は今は肩 にかかっている。
日本人にしては若干淡く、そして少し癖のある髪だ。
目の色も若干淡い。
そしてその淡い色の、男にしては大きい目をこれも男にしては長い睫 毛が縁取っている。
「…美しい…」
思わず、山背はぽろりと言葉をもらした。
「だろ?宴席からみえる藤より、俺はこっちのほうが好きなんだ」

…いや、花じゃなくて。
綺麗なのはお前だよ、と言おうと思って、さすがに恥ずかしいからや めた。

「もっとこっち来いよ」
花と入鹿に少し近付いた山背に対し、入鹿はなおもそう言う。
「え…」
「…何もそんなに嫌がらなくても。
 ま、いっか。少し離れて見るのも綺麗かもな」
そう言って、入鹿は自分から山背の方へ近付いてきた。
その足下が、なんだか覚束ない。
「おい、おまえもしかして…」
「え?」
そう言ってわずかに自分より高い位置にある山背の顔を見上げてくる 入鹿の目尻が紅い。
頬もわずかに染まっている。
「やっぱり。
 …酔っ払っているのか?」
「…そうかもな」
そう言って山背のすぐ傍でクスクス笑う入鹿からは、何処となく色香 が漂ってくるようだ。

しばし花に見とれていると、肩の辺りにとん、と重みを感じた。
「…入鹿?」
山背に、入鹿が寄り掛かったのだ。
「飲み過ぎたかな…。
 ちょっとフラフラする」
入鹿は山背に寄り掛かったままそう言った。
「フラフラするまで飲むな。
 一応大人の仲間入りをしているといってもおまえはまだ子供だ ろ?」
入鹿に寄り掛かられて、ドキッとしたなどとはおくびにも出さずに、 相変わらず寄り掛かったまま離れようとしない入鹿に言う。
入鹿は山背から少し身体を離して、笑った。
唇を片方だけつり上げるその笑い方は、紅い目尻と相まって何だかと ても色っぽい。
入鹿はそっと自分の顔を山背に近付けた。

な…なんだ、今の。
私の身にいったい何が起こったのだ。
自分の目線よりもわずかに下に入鹿のニヤニヤした顔が見える。
「びっくりした?」
「…からかうにも程がある…」
山背はそう言った。

「………からかってなんかない」
随分間が開いて、入鹿はそう言った。
「……え?」
「え?じゃない!!
 あんたは俺が人をからかって楽しんでいるような性悪な人間だと 思ってたのかよ!」
…いや、だってそうじゃないですか入鹿さん。
そんな、真実とも言える言葉はぐっと飲み込んだ。
「本気か?」
山背は問うた。
「……本気だけど?」
入鹿は答えた。

「…戻らなくていいのか?」
本日2度目の、といっても1回目とは比べ物にならないほど濃厚な口 付けのあと、
入鹿は自分を抱きしめている男に聞いた。
「おまえこそ。おまえの家で催されている宴だろ?」
「はっ…、別に。それにもう、よいこは寝る時間だし?」
そう言う入鹿の目尻が一段と紅いのは、酒のせいだけではあるまい。
「何がよいこだ、何が」
山背はすかさず入鹿の言葉にツッコミを入れた。
そして、一拍置いて言葉を続けた。
「それにしても、おまえも私と同じ気持ちでいてくれたとはな。
 こんなことなら酒に任せて誰かさんに襲われる前に気持ちを伝えて おくんだった」
「…俺も、八割がた酔っ払いの戯れ言で終わると思ってたよ」
二人はくすくす笑った。

そして山背は勝手知ったる他人の家、といった感じに入鹿の手を引い て入鹿の私室へ向かった。
入鹿は大人しくついて来る。

まだ続けているのか、かすかに人々の笑い声が聞こえる。
しかし、誰も知る由もない。
そこには、山背と入鹿、そして見事な藤の花のみが在った。

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