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水月庵

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忠臣になりそこねた男

草壁と不比等のニアホモです。
淡海帝=天智、浄御原帝=天武だよ!

 あの人は誰よりも優しく聡明で、そして残酷だった。

 あの人は宮中に出仕するときはいつも、黒作りの刀を佩いていた。白皙の優しげな顔立ちの彼には些か不似合いなその刀を見ていると、私の考えていたことを見透かしたようにあの人は笑った。
「似合わないだろ? でもまあ、こういうものを持っておけば少しは勇ましく見えるかなと思ってさ」
 彼は草壁皇子。
 現人神と崇められる浄御原帝を父に、その正妃である讚良皇女を母に持ち、並みいる皇子達の頂点に君臨する方である。
 同時に、何の後見も持たぬ私を引き立ててくださった恩人でもある。

 私は、権力が欲しかった。
 私の父は淡海帝の無二の忠臣であった藤原鎌足である。その淡海帝の後継者である大友皇子を破って即位した浄御原帝が治めるこの国で私が生き残るためには、強力な後ろ盾を得て権力の座に着くしかなかったからだ。
 草壁様に近づいたのは、身も蓋もない言い方をすれば、打算だった。
 文武両道に優れ、何かと目立つ大津皇子よりも、大人しい彼のほうが御しやすいだろうと踏んでのことだった。
 だが舎人として彼に侍するようになってから、それは間違いだったと気づいた。






「草壁様、いい加減休みませんか」
 日付が変わる頃になっても仕事の手を止めない彼に、私は思わず言った。草壁様はあまり身体が丈夫なほうではない。ついこの間も熱を出して寝込んだばかりだ。
「ああうん。もうちょっとだけ」
 視線は大量の木簡に向けたまま、彼は生返事を返す。
 この頃草壁様は皇太子として、律令の編纂を指揮していた。大事業を担っているのだ。充分な休息を取る暇などないことは分かっている。だが病弱な身体を押して、身を削るように仕事をする姿はとても見ていられない。

「現人神である父に憧れないわけじゃない」
 私の再三の忠告をついに受け入れ、筆を止めた草壁様が言う。
「そりゃ僕だって、皇位に即くからには父上のように権力を一手に握って思うがまま国を治めたいと思うよ」
 だがそれでは駄目なのだと、彼は言った。
 どうして、と私は問うた。
 私は神のごとく玉座に君臨するこの人が見たい。このときすでに、そう思う程度には草壁様に惹かれていた。
「僕は父上の後継者だから。父の跡を継ぐ者は、父そのものであってはならない」
 そう言って、草壁様はその白い指先で大量に積まれた木簡を撫でた。ここに積み上がっているものは全て律令の草案である。私は、彼の言わんとしていることを理解した。
 争いによって皇位を勝ち取った帝自身がその才覚のみで国を治める時代はもう終わりにしなければならない。
 これからのこの国を統治すべきは、一人の傑物ではなく普遍の法。律令に則って粛々と治められる姿こそ、これから我々が目指すべき国のあり方なのだと、彼は言うのだ。
「誰が帝になっても一緒だなんて、正直ちょっと寂しいけどね」
 草壁様はいたずらっぽく笑った。

「不比等」
 不意に真剣な表情になって、草壁様が私の名を呼ぶ。
「僕はたぶん父や祖父のような英雄にはなれないけど、それでもいいか?
 一緒に来てくれる?」
 私は一も二もなく頷いた。
「もちろんです。私はあなたがいい」
 言ってから、これではまるで愛の告白だと、柄にもなく赤面してしまった。
 そして同時に、これこそが私が望んだものだったのかもしれない、とどこか腑に落ちた心地がした。
 私はずっと、誰かの無二の右腕になりたかったのかもしれない。
 淡海帝にとっての父がそうであったように。浄御原帝にとっての讚良皇女がそうであるように。
「良かった! 不比等が付いてきてくれるなら何も怖くない」
 草壁様はいきなり私に抱きついた。彼の衣に薫きしめられた香がふわりと香る。
「草壁様……?」
 何を思ったのか、草壁様は私の冠をはたき落として、犬や猫にするように頭をくしゃくしゃと撫で出した。
「不比等はかわいいな」
「男が男に言う言葉ですか、それ」
「いいじゃん。かわいいものはかわいい。抱き枕にしてもいい?」
「勘弁してくださいよ……」
 私がそう言うと、冗談だよと笑って草壁様は手を離した。香が遠ざかる。
 こうしてずっとこの人と歩んでいけるのだと、このとき私は信じて疑わなかった。



 草壁様が病に倒れたのは、彼が最愛の弟である大津皇子に謀反のかどで死罪を命じてすぐのことだった。
「不比等、来てくれたんだ」
 病床で草壁様が微笑む。
「笑えるよね。弟を殺した直後に自分が病で死にかけてるなんて」
 いつもの調子で軽口を叩く彼に、私は無言で首を振った。口を開けば、その拍子に泣いてしまいそうだった。
 草壁様が寝台から身を起こした。そんな動作さえ、病に蝕まれた身体には辛そうだ。
「これ」
 草壁様が枕辺に置かれた刀を指差す。黒漆で装飾された漆黒の刀。草壁様がいつも身に付けていたあの刀だ。
「おまえに預ける。そしていつか、珂瑠が大人になったら、渡してあげてほしい」
 息子を頼む、と言外に言う草壁様に、たまらず私は言い募った。
「一緒に来いと、あのときあなたはそう仰ったではありませんか」
 そう言ってもどうせこの人は、黄泉の国まではさすがに無理、と笑うのだろう。けれど、彼は笑わなかった。

「本当は、今だってそう言いたい」
 草壁様がやせ細った手で私の頬を撫でた。
「不比等」
 私の名を呼ぶ柔らかい声。
「おまえが好きだったよ。
 こんなに早く別れが来るなら、一度くらい」
 その先の言葉を、彼は言わなかった。
 草壁様は誰よりも優しく聡明だ。そして、残酷だ。
 その言葉の先を聞いてしまえば、私はきっともう生きていけない。
 彼はそれを知っていた。

 私の無二の主君は、とうとう皇位に即くことなく、その生涯を終えた。



 草壁様の殯では、彼に仕えた舎人達がこぞって挽歌を捧げた。
 草壁様、聞こえていますか。
 あなたの死を嘆くこの慟哭が。
 こんなに皆に愛された皇子がかつていたでしょうか。

 彼の遺児である珂瑠皇子は、泣き崩れる姉姫や妹姫の傍らで、唇を噛み締めながら、それでも涙をこぼさずに気丈に立っている。
 そういえばいつだったか、珂瑠皇子は草壁様の幼い頃に生き写しだと、年嵩の采女が言っていたのを聞いたことがある。
 子供の頃のあの人を知らない私から見ても、確かに珂瑠皇子には彼の面影があった。
 けれど、どんなにあの人に似ていても、そしてあの人の血を引いていても。
 あの人の代わりにはなり得ない。
 私は父のようにはなれなかった。私のただひとりの人はもう二度と帰ってきてはくれない。共に死ぬことすら許してはくれない。

 争いの時代に終わりを。この国に安寧を。
 その願いの下、あの人は命を燃やした。
 私は残りの人生のすべてを賭けて、彼の夢を叶えてみせる。
 どんな汚名を着ることになろうとも。
 だから草壁様、私が死ぬときには、よくやったと褒めてください。
 私は漆黒の刀を抱きしめた。

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