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水月庵

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天帝と天相

あれは恵美押勝の乱が終結した直後。山部王が初めて朝廷から官位を賜る運びとなり、住み慣れた山背国乙訓里を離れて上京してすぐのことだった。

 頼りない明かりに導かれて、山部は前を行く雄田麻呂の後を必死に追いかける。夜とはいえ暑い夏のこと。首筋にうっすらと滲んだ汗を手の甲で拭いながら、山部は問いかけた。
「一体どこまで行くんだ。もう都を抜けて随分歩いた……」
 雄田麻呂が持つ松明のほかには明かり一つない暗い山道。
「少し足元が悪くなってきましたね」
 そう言って雄田麻呂は松明を持っているのとは逆の手を山部に差し出した。
 その掌の上に当たり前のように自分の手を重ねながら、山部が言う。
「急に星を見に行こうなんてどうしたんだ。おまえらしくもなく情緒的だな」
「そうですか? 貴方に対してはいつも情緒的なつもりなのですが」
 すました顔でそう言い、雄田麻呂は山部の手を少し力を入れて握った。






 手を引かれてしばらく山道を歩いていると、突然視界が開けた。雄田麻呂が歩みを止めた。高い位置で一つに結い上げた彼の髪の先が背中で揺れる。
「着きましたよ。春日の森です」
 だだっ広い空間に向けて雄田麻呂が松明を掲げると、まだ主要な柱が数本立っているだけの建設中の社の姿が暗闇の中にぼんやりと見えた。
「おまえの家の氏神が坐す森だな」
 山部がその薄い唇を綻ばせる。
「そうです。永手様が心血を注いで工事を進めておられますからあと数年のうちには壮麗な社が建つことでしょう」
 どこか誇らしげな表情で雄田麻呂は社を見ていた。
「ここに連れて来てくれたってことは……私におまえの人生をくれるって言葉、信じていいんだな」
 山部がいたずらっぽい笑みで雄田麻呂の横顔を見つめる。
 雄田麻呂が山部に向き直った。
 真剣な表情で山部を見つめ、その頰に手を伸ばす。
「神に誓います」
 そう言ってから、頰に添えたその手でそっと山部の顔を上に向かせた。
「綺麗でしょう」
 松明の他には何も明かりのない夏の夜空に、無数の星々が瞬いていた。

「星降る夜、だな」
 真っ暗な空を覆う巨大な半円形の硝子に金や銀の粉を惜しげもなくまぶしたかのごとき見事な星空に山部が嘆息する。
「私は芸術の類には疎いし天文にも詳しくないから何も気の利いたことは言えないが……、こんなに美しいものをおまえが私に見せたいと思ってくれたことが嬉しい」
 はにかむようにそう言って山部は雄田麻呂に身体を寄せた。
 そんな山部に手に持っていた松明を預け、空いた手でその肩を抱き寄せる。
「俺もそんなに詳しいわけではありませんが」
 言いながら、南西の空に輝く橙色の星を指差した。
「あそこにひとつだけ鮮やかに光っている星があるでしょう? あれが星宿です」
「ほう」
 山部の視線が雄田麻呂の長い指の先を追う。
「あの星の周りには何もないように見えますが、実はあの横に天相という星座があるのです」
「天相……天上の宰相。おまえの星座だな」
 必死に目を凝らして天相を探そうとする山部に、雄田麻呂はいたずらっぽく笑った。
「あくまで影の立役者ですから。見えなくていいんです」
 雄田麻呂の言葉に山部もくすくすと笑った。

 今度は北の空を見上げる。
「あそこに柄杓星があるのはわかりますか?」
 明るい星が七つ、柄杓の形に並んでいるのを見つけ、山部がこくりと頷いた。
「柄杓の器の部分の延長線上に並んでいる五つの星。あれが順に太子、帝、庶子、后、北辰を表しているといわれています。つまり、あの天帝の星が貴方だ」
「確か、他の星は夜空をぐるぐる動いているのにあの天帝の星だけはずっとあの場所に留まっていると聞いた」
 帝王とは孤独なものだ、と山部が独り言のように呟く。
 星から目を離し、山部は雄田麻呂をじっと見つめた。
「その孤独を、ずっと埋め続けてくれるか? そうでないと帝になんかなってやらない……」
 駄々っ子のような言葉に雄田麻呂がふっと笑う。
「寂しい思いはさせません。だから俺のために玉座に登ってください」
 絵空事だ。山部はこの都に掃いて捨てるほど居る名ばかり皇族の一人にすぎない。その彼が登極するなど、まるでこの空の星を取って来いと言うにも等しい、叶うはずのない馬鹿げた話だ。少なくとも、今このときは。
「おまえがそこまで言うなら、未来の太政大臣藤原雄田麻呂卿の傀儡の帝になってやるのも悪くないな」

 山部が手に持った松明を投げ捨てた。
 頼りない音を立てて火が消える。
 何を、と困惑した表情で呟く雄田麻呂に顔を近づけ、山部はニッと笑った。
「これでもう朝まで二人でここにいるしかなくなったな。
 さっそく孤独を埋めてもらおうか」
 からかうようにそう言う山部を、雄田麻呂は少し荒々しいほどの強さで抱きしめた。



「神に誓うという言葉ほど、あてにならぬものはない」

 遠いあの日と同じ、夏の日。
 即位して帝となった山部は春日の山に佇んでいた。
 あの日と同じ場所。
 だが、今は昼で、星など見えない。傍らに立っていたあの男もいない。そして、あれから数年のうちに完成した社殿が夏の陽射しの中で朱塗りの柱を輝かせていた。

「どうしてこんな場所にいるのよ!」
 騒々しい蝉の声に負けじと張り上げたのであろう女の華のある声が突如として響き、山部は声のした方を振り返った。
 見れば、華やかな装束に身を包んだ美女が息を切らせながら登ってきたところだった。
「酒人? どうしてここへ」
 目を丸くしながら、山部は妃の名を呼んだ。
「それはこちらの台詞ですわ、背の君。今日はずっと親子三人で過ごそうって言ってたじゃない。
 明日には朝原は一人で伊勢へ行かなければならないのだから」

 山部と酒人の間に生まれた娘、朝原内親王はこの度伊勢の斎宮に卜定され、伊勢へ下向することになっている。両親の愛を一身に浴びて育った僅か六歳の娘には過酷な運命である。だからせめて伊勢へ下る前日くらい親子水入らずで過ごそうとこの旧都へやってきたのだ。

「すまない。すぐ戻るつもりだったんだが」
「いいから戻るわよ。父も母もいないなんて、今頃あの子泣いてるわ」
 酒人が山部の腕をぐいぐい引っ張る。
 相変わらず気の強い妃に苦笑しながら、山部は大人しく帰宅の途についた。
「そういえば」
 酒人が言う。
「どうした?」
「朝原ね、今夜は私たちと一緒に星を見たいんですって。私、星のことなんて全然わからないんだけどあなた詳しい?」
 その言葉にどこか因縁じみたものを感じて山部は思わず笑った。
「昔聞きかじった程度で良ければ」
 さあ急ごうか、と山部は妃の肩に手を回した。

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