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水月庵

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俺が大嫌いな王女の話


 俺は、あの女が嫌いだ。
 見てくれは多少は可愛いかもしれないが、少しでも気に入らないことがあればキンキンうるさいことこの上ない。
 世界は自分を中心に回っていて、この世界は自分のためにあると信じて疑わない、良くも悪くも『お姫様』。
 それが、俺の仕えるネフェルト姫だ。






「兄貴、俺この仕事辞めたい。
 仕事辞めて、パン職人にでもなってのんびり暮らしたい」

 麦酒の入った杯を傾けつつ、俺は言った。

「久しぶりに会って一体何を言い出すかと思えば。出世頭だろう、おまえは」
 温厚そうな顔を柄にもなく顰めて、年の離れた兄貴は俺をたしなめる。

「俺はもっと戦場で血湧き肉踊る戦いに身を投じたいんだよ。
 わがまま姫のお守りなんてごめんだ」

 俺と兄貴は、他より少しだけ裕福なだけの庶民の家に生まれた。
 うちは、それはそれは子沢山で、長男であるこの兄貴の他にも俺には計七人の兄姉がいるわけだが、それでも食うに困らないくらいには裕福だった。

 だが、それだけだ。我が家は権力とは無縁の一般家庭だった。

 その中で、俺とこの兄貴、セヌウだけは違った。
 兄貴は持って生まれたその頭の良さで、書記として王宮に潜り込むことに成功し、現王即位に伴って、何と宰相の地位まで上り詰めた。

 で、俺は武術の才と宰相の弟という地位を上手く使って見事王宮の武官になったわけだ。
 そこで将軍キアン様に見いだされ、まんまと近衛兵の地位を手に入れた。

 そんな庶民の星である俺たち兄弟は、今夜は恐れ多くも王宮の一角、宰相の詰所で酒盛りなどしている。

「王族付き武官の地位など、望んでもそうそう手に入る物じゃないんだぞ。
 別に私が陛下や将軍閣下に何か言ったわけではない。
 おまえの実力だ」

 うん知ってる。

「ましてや、ネフェルト姫は先のファラオの一人娘。ゆくゆくは王妃になられる方だ」

「王妃っつっても第二王妃だけどな」

「口が過ぎるぞ、カセケムイ」
 仮にも自分の仕える主をこき下ろした俺に、兄貴の口調が一層険しくなる。

 俺は杯を置き、その場にごろんと横になった。
「その件でお嬢は殊の外ご立腹だ。なだめる俺の身にもなってみろ」

 この度、我がエジプト王国のファラオ、ジェセルカラー陛下は、何かと敵対していた隣国、ヒッタイトと友好を結び、その証としてヒッタイトの皇女を娶られる。
 国と国の架け橋となる婚姻だ。
 もちろんヒッタイトの皇女は我が国の正妃となる。
 つまり、うちのお嬢は第二王妃へと格下げになるというわけだ。

 それに対して、あのわがままなお嬢が癇癪を起こさないわけがなく。
 彼女をひたすらなだめる俺としては、この縁談の立役者の一人である宰相セヌウに文句を言いたくもなる。

「ヒッタイト皇女との婚姻はあくまで政治的なもの。
 幼い頃よりファラオと共に育った、美しいあなた様の地位が揺らぐようなことはありますまい……とでも言っておけばいい」

 麦酒を片手に、人の良さそうな顔で笑いながらそう言う兄貴は、さすが庶民から宰相まで上り詰めただけのことはある。
 絶対この人は腹黒い。

 あいにくだが、俺はそんな歯の浮くような台詞をさらっと言えるような男じゃない。



「お嬢」

 日干し煉瓦の王宮の窓から、多くの人で沸き返る広間を見下ろすネフェルト姫の後ろ姿に、俺は声をかけた。

「何よ」
 ふわりと軽いカラシリスに、黄金に七宝細工を施した装飾品。
 王女としての正装に身を包んだネフェルト姫は、俺に背中を向けたまま答えた。
「……笑えばいいでしょ。わたくし、知っていてよ。
 カセケムイ、おまえはずっとわたくしが嫌いだったのでしょう?
 いい気味だって笑えばいいわ。
 大体ねぇ、カセケムイ。
 何度も言うけど、わたくし、お嬢だなんて呼び方を許可した覚えはなくってよ」

 憎まれ口を叩くお嬢の声は、震えていた。所々、声が裏返っている。

 我がエジプトに、ヒッタイトの皇女が嫁いできてから約半年。
 皇女はオリエント一の美女と名高いお方だった。
 まあ大体そういう噂ってのは噂に過ぎないのが定石だが、ヒッタイトの第一皇女アイリさまはその噂に違わない、いや、聞きしに勝る絶世の美女だった。

 ジェセルカラー陛下は、アイリ皇女に一目で恋に落ちたらしい。二人は仲睦まじい夫婦となり、民もそんな国王夫妻を祝福した。

 そして今日は、故あって生国であるヒッタイトへ里帰りをしていたアイリ王妃がエジプトへ戻ってくる日だ。

 ナイルの雫と称される、美しいアイリ王妃の帰還に民らの熱気は最高潮に達している。

 王妃を出迎えるため正装したはいいものの、結局忘れられた姫は広場へ下りることはなかった。
「お兄様は、もう私を妃にはしてくださらないんですって。
 ご自分の妻は、アイリさまだけだと」
 なるほどいい気味だ。
 我こそ未来の王妃なりと高慢に振る舞っていたわがままお嬢が、ぽっと出の、しかもファラオより3つも年上の外国人にまんまとその地位をかすめ取られ、しかも第二王妃にすらしてもらえないとは。
 俺は笑おうとした。というか、笑った。
 だが明らかに棒読みの俺の笑い声は、薄暗い部屋に空しく響くだけだった。
 いくら待てども、いつものお嬢の鉄拳制裁は飛んでこない。

「まあその、何だ……男は陛下だけじゃないから。
 そんなに気を落とさず、次行こうぜ次」
 何を言ってるんだ、俺は。
 俺はこいつが嫌いなんだ。
 元々俺は、オリエント最強の戦神と讃えられるキアン将軍の下で故国エジプトのために戦うことを夢見て軍人になった。
 だが、軍に入る時の成績がぶっちぎりで良かったことが逆に足枷となって、王女付きの武官に任命されてしまい、戦らしい戦を経験することなく今に至る。
 王族付き、しかも王位継承権をその身に宿す王女の警護という仕事は確かに花形中の花形だ。
 でも俺がやりたいのはこれじゃない。
 現に俺の同期のメジェドゥなどは戦場で華々しい成果を上げ、今やキアン将軍の片腕、副将軍と呼ばれるまでになっている。
 俺が求めてたのはそういうことなんだよ。
 間違っても、王女が騒動を巻き起こす先々で頭を下げて回ることじゃない。
 そんなわけで、俺はこいつが嫌いだ。
 だから、今のこいつをざまあみろと嘲笑うことはあっても、慰めるなんてことは有り得ない。あってはならない。
 なのに今俺は、明らかにこいつを慰めようとしている。
 おまけに慰めるための言葉がありえないほど稚拙だ。
 そりゃそうだ。
 俺とネフェルト王女は、お互いに対して暴言しか吐けない仕様になっているのだから。
 俺が彼女を一瞬で立ち直らせるような魔法の言葉を唱えられるわけもないし、彼女だってそんなこと望んではいない。

 お嬢はほんの少しだけ笑った。
「それもそうね。
 これから、王族の地位が欲しい男共が面白いほどわたくしに群がることでしょう」



「俺はもう駄目かもしれん」
 麦酒の入った杯を片手に、俺は盛大にため息をついた。
 今日は件の同期、メジェドゥと休みが被ったので久しぶりに彼と酒盛りをしている。
 場所はナイルを挟んで王宮の対岸にある、安さと量が売りの居酒屋だ。
 今日も今日とて地元のお父さん方や王の葬祭殿を作るために集められた労働者でにぎわっている。
 王宮で振る舞われるお上品な葡萄酒もいいが、やっぱり俺はこのいかにも庶民の飲み物といった雑な味が好きだ。
 不純物を吸い込まないように、葦の茎で上澄みを吸うこの感じがたまらない。
「どうしたんだよ薮から棒に」
 杯を重ね、真っ赤な顔でのたまう同期に、俺は深刻な悩みを打ち明けた。
「お嬢を罵る言葉が出てこない」
 俺は至極真剣に言ったのだが、酔っ払いは俺の言葉を一笑に付した。
「いいことじゃないか。大体普通に考えれば、恐れ多くも王女殿下をお嬢呼ばわりする上に暴言吐きまくるのが異常なんだからな」
「それで良かったんだよ。お互い嫌い合ってんだから。
 ずっと、いつか誰かがあの女の鼻っ柱を叩き折ってくれないかと思ってた。
 だがいざそうなってみると、どうしていいか分からん」
 それに、お嬢の言葉通り、ファラオとの婚姻がなくなったと知るや彼女に群がり始めた貴族の男共が鬱陶しいことこの上ない。
 歯の浮くような薄ら寒い台詞を滔々と並べてはいるが、奴らはただ『王女の夫』という地位が欲しいだけだ。
 次代のファラオは、順当にいけばやがて王妃が産むであろう王子だが、それでも奴らはあわよくば、と彼女に近づく。
 どいつもこいつも、お嬢を何だと思ってやがる。
 それに、お嬢の側に控える俺をいちいち睨むんじゃねえ。
 仕事なんだよ、こっちは。

 と、大体このようなことを愚痴ると、メジェドゥは朗らかに笑いながら支離滅裂なことを言ってきた。
「もうさ、おまえと王女殿下結婚しちゃえよ。
 おまえって一応宰相の弟じゃん?
 釣り合いは取れてると思うよ」
 やっぱり酔っ払いなんかに相談するんじゃなかった。
「何がどうやってそうなる。
 さっきから俺はあの女が嫌いだと言ってんだろうが。
 耳ついてんのかおまえ」
 顔と同じく真っ赤になっている奴の耳をぐいっと引っ張る。
「ちょっ……カセケムイ理不尽!」
「何が理不尽だ。おまえが突拍子もないこと言うからだろ。
 そういえば、キアン将軍はお元気か」
 耳を引っ張られて不満げな表情を浮かべていたメジェドゥだが、奴の熱愛する将軍の話を振ってやると、すぐにその精悍な顔をぱあっと輝かせた。犬かこいつは。
 ちょうどアイリ王妃が里帰りをしていたころ、キアン将軍は急病でしばらく姿を見せなかった。そのときのメジェドゥの憔悴ぶりときたら、実に面白い……いや、仲の良い同期として非常に心配だったが。

「ああ。もうすっかりお元気だぞ!
 最近はますます剣さばきにも美しさにも磨きが……」
 やっぱり将軍の話など振るんじゃなかった。
 こいつのキアン将軍への賛辞は止まる所を知らない。
 確かにキアン将軍はオリエント最強の戦神だし、普段はその性格のせいであまり意識することはないが、改めて見ると目の覚めるような美形だ。
 それに加え、メジェドゥはいわゆる戦争孤児だと聞いている。故郷の村を滅ぼされ家族を失った彼が、その敵をいとも簡単に蹴散らし、さらに生きる場所を与えてくれた戦神に惚れる気持ちは分からんでもない。
 が、うっとりとした表情で将軍を語るこいつはやっぱりちょっと気持ち悪い。

 ひとしきりキアン将軍の素晴らしさを語り終えた後、奴は少しだけ暗い顔になった。
 ちなみに、あんなににぎわっていたこの居酒屋も、もはや人がまばらだ。店主のこいつら早く帰ってくんねえかな、という表情が痛い。
「ただ最近、戦うキアン様の姿を見る機会がなくてな」
 肩を落としてメジェドゥが言う。
「まあ確かにな」
 ここ最近、我が国は戦らしい戦をしていない。
 当代のファラオはどちらかというと平和主義者だ。もちろん戦うときは戦うが、国を富ませる方法として戦よりも交易などに重きを置く、というのがジェセルカラー陛下の考え方である。
 ヒッタイトからアイリ王妃を娶ったのもその考えの表れといえる。
「別に俺だってただ理由もなく戦がしたいわけじゃない。
 ただ……」
 少し寂しい、とメジェドゥは言った。
 そしてその言葉を最後に、奴は寝やがった。
 俺は奴を放置して帰ることにした。



 今日も今日とて、後宮の中庭で寛ぐお嬢の周りにはわんさか男共がやって来た。お嬢の後ろで日除けの傘を捧げ持つ女官が頬を染めるような美丈夫も中にはいたが、お嬢は一向に興味を示さない。
「おまえの話はつまらないわね。眠ってしまいそうよ」
 欠伸まじりにお嬢がそう言ったのを合図に、俺は男に退出を促した。が、彼はなかなか動こうとしない。見たところそこそこの容姿だったので、それなりに自信があるのだろう。
 半ば強引に立ち去らせようとすると、男は憤然と怒鳴り立ててきた。
「無礼な! 僕の父親はテーベ州知事だぞ!」
 ああはいはい、高官ですね。
 手を緩めることなく、俺は言ってやった。
「俺の兄は宰相ですが?」
 男は瞬時に大人しくなった。

「本当にくだらない男しか来ないわね。
 本っ当、退屈!
 寄ってくる男全員がおまえ以下だなんて一体どういうことかしら?」
 女官に爪の手入れをさせながら、お嬢が言う。
「そりゃ俺が意外といい男ってことだろ」
 そう言ってやると、お嬢は不快そうに眉をひそめた。
「おまえのそういうところが嫌いよ」
「奇遇だな。俺もあんたが嫌いだ」
 よしいいぞ、と俺は心の中で呟く。ようやく調子が戻ってきた。お互いに。

「本当にネフェルト姫様とカセケムイどのは仲がおよろしいことで」
 お嬢の後ろに控えていた彼女の乳母が、腹回りにたっぷりついた贅肉を揺らしながらころころと笑う。
 だからどう見たらそうなる。脂肪で目が塞がってるんじゃないか。
 俺とお嬢が醸し出す剣呑な空気を知ってか知らずか、相変わらずおばさんは笑っている。
「ねぇカセケムイどの。あなたは宰相様の弟君でいらっしゃいますし、いっそあなたが姫様を……」
 乳母が言い終わる前に、お嬢がキンキンと叫ぶ。
「何をトチ狂ったことを言っているの!
 おまえなんかクビよ!」
 大国エジプトの王女殿下からの解雇宣告にも一切動じず、乳母はあらあらとまだ笑う。
 本当に、勘弁してほしい。
「今回ばかりはお嬢に同意だな。
 俺は王位継承権なんかいらないし、お嬢自身はもっといらない」
「初めて意見が合ったわね」
 お嬢がにやっと笑う。俺も同じ種類の笑みを返した。
 俺は絶対こいつを好きになんかならない。
 でも少し、本当に少しだけ、今の笑顔を可愛いと思った。

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