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水月庵

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およし再び。2

「本日はこれまでとする」
 広間に居並ぶ幕閣達に告げ、将軍家茂は立ち上がった。
 刀を捧げ持つ役の小姓が慌てて後を追い、別の小姓が幕閣の居並ぶ下座と将軍の座る上座を隔てる御簾をするすると下ろす。
「お待ちくださいませ、上様」
 立ち去ろうとする主君に松平春嶽が声をかけた。
「何じゃ?」
「畏れながら上様。横浜港の件、いまだ上様のお考えをお聞かせいただいておりませぬ」
 春嶽の声に、家茂は御簾の向こうでため息をついた。






「ご叡慮としては横浜を閉じよとのこと、もっと言ってしまえば、それを機に攘夷を実行せよとのことらしいが。さてどうしたものか」
 差し当たって一番の懸案事項といえばこの横浜鎖港問題であろう。
「この期に及んで攘夷など、とても現実的ではございません。
 それに今更横浜港を鎖港するなど、諸外国がすんなり聞き入れるわけも……」
「まあ、そなたの言うことはわかる」
 上代の蝦夷征討とはわけが違うのだ。
 いくら帝から節刀を賜っても、欧米列強という夷狄を征夷大将軍が討ち果たせるかというと答えは否である。
「だが、帝のご機嫌を損ねたくはないしの」
「それで、上様はいかがお考えで」
 焦れたように言葉を重ねる春嶽に、家茂は苦笑した。
「追って沙汰するゆえ、しばし待て」



「横浜は鎖港すべきです」
 夕餉の席でのことである。
 家茂から本日の政務の内容をあらかた聞いた慶喜は迷うことなくそう断言した。
 髪に挿した銀に珊瑚をあしらった簪がシャランと揺れる。
「お方様……! なりませぬ、いくらお方様といえどご政道に口出しなさるはご法度にございまするぞ」
 夕食の世話をしていた女中が慌てて口を挟む。
 所詮腹は借り物、という考えである。
 将軍の傍に侍る女はただ世継ぎを育てるための畑を貸し出すだけ。政治に口を挟むなどあってはならぬこと、というのがしきたりであった。
 だが、女中にたしなめられた後も慶喜は涼しい顔で盃を傾けている。
「良いのじゃ。わが側室は頭が良いのでな。思うところをぜひ聞かせてほしいとわしが望んだ」
 天真爛漫な笑顔で、若き将軍にそう言われてしまえば、女中も引き下がるしかない。

「ところで、そなたは開国派とばかり思うておったが」
 箸を置いて、将軍が側室に向き直る。
「確かに、私はもう攘夷など絵空事と思っております。
 ですが、横浜港をもう一度閉じよと他ならぬ帝が仰るのであれば、従うより他にないかと」
「なれど、そのようなことを仏蘭西や英吉利が聞き入れるわけがない。それを承知の上でか」
 家茂がそう言うと、慶喜は静かに盆に盃を置いて、ふふっと笑った。
「仏蘭西や英吉利が折れるはずはないから、わが国の帝に折れていただくのですか?
 いつの間に、わが国の主は欧米の公使になったのです」
「それは……」
「むろん、今申し上げたことは綺麗事です」
 すっかり細く儚げになった手が酒器を持ち上げる。
 家茂が持つ盃に酒を注ぎながら、慶喜はなおも言った。
「私が言いたいのは、帝のお言葉に上様は絶対に『できぬ』と言ってはならない、ということです。
 禁裏にはびこる尊攘派の公卿どもは今か今かと狙っているのです。上様が帝のお言葉に難色を示されるその瞬間を。
 上様が少しでもその素振りをお見せになれば奴らはそれ見たことか、やはり徳川は逆賊の輩よと鬼の首でもとったかのように騒ぎ立てましょう。
 それが狙いで、このように無理難題をふっかけてくるのです。今回のこととて、一体どこまでが帝ご本人のご意志やらわかったものではありません」

 家茂はほぅ、と感嘆の息を漏らした。このような話をしているとやはり、彼いや彼女は辣腕の将軍後見職、一橋慶喜その人だ。
「そなたが鎖港派だということはわかった。が、帝に横浜鎖港を奏上して、その後はどうする?
 鎖港など、実のところは無理なのだろう?」
「……とりあえず欧州に使者を送っておけば格好だけは付きましょう。
 当然交渉は不発に終わるわけですから使者に選ばれる者にはは辛い役目となりましょうが、幸か不幸かこんなご時世です。その者にもこれから先、いくらでも挽回の機会は与えてやれる」
「……朝廷がさらに攘夷を求めてきた場合はどうする?」
 家茂がそう問うと、慶喜は破顔した。声を立てて笑う。
 ちょうど酒のお代わりを手に部屋に入ってきたお芳が目をつり上げて、笑うときは手を口元に当てて! と不調法な『お方様』を叱りつけた。
 お芳に言われた通り口元を手で覆い隠して笑いながら、慶喜は言った。
「そこまでしつこく仰るなら今度こそ『じゃあ俺は将軍辞めるからおまえら自分でやってみろ』でよろしゅうございましょう」
 あまりといえばあまりな言いように、家茂も釣られて笑った。
「それもそうじゃな」

 膳を押しのけ、側室のほうへにじり寄る。
「まだ漬物が残っております」
 素直に抱き寄せられながらも、相変わらず小憎らしいことを言うその口に家茂が顔を寄せた。
「上様」
 少し可愛らしい声を出して慶喜は目を閉じた。いや、閉じようとした。

 コホン。
 お芳が聞こえよがしに咳払いをする。
 そして、手に持っていた酒器をドン、と置いた。
「お芳……」
 すすす、と気まずげに慶喜が家茂から離れつつ元愛妾を振り返る。
「ここはお食事の間にございますよ。もう少し我慢なさいませ」
「別に、その……そんなつもりでは……」
 では一体どんなつもりだったのだと突っ込みたくなるような言い訳を口の中でごにょごにょ繰り出す慶喜の襟首をつかんで引っ張りながら、お芳は慇懃な笑顔で家茂に言った。
「お方様は夜支度がございますので、上様はこちらでしばし御酒など楽しまれますよう」
「よ、良きにはからえ」
 火消し小町の迫力に気圧されながら、家茂はぎこちなく頷いた。



「あのお芳というおなごは気が強いな」
 仄かな明かりが灯る閨の中で家茂が苦笑まじりに言う。
「生粋の江戸っ子ですからね。しかも火消しの男共に囲まれて育ったのですから尚更」
 彼に向かい合って座る慶喜も似たような表情で応じた。
「そなたはああいうのが好みか」
「嫉妬してます?」
 自分から男に身を委ねながら揶揄うように聞いてくる側室の言葉に少し、と答えながら、家茂は長い黒髪に自らの指を絡めた。朝な夕なに女中達が数人がかりで入念に手入れしている黒髪はするりと指から逃げ、代わりに芳しい香りを漂わせる。

 どちらからともなく唇を合わせた。
 家茂の手が慶喜のうなじにまわる。
 次第に長くなる接吻に、次を促すようにわずかに唇を開いてやれば、待ちかねたと言わんばかりにその隙間から舌が入ってくる。
 舌を受け入れつつ、だいぶ上手くなってきたなどと余裕ぶって頭の中で考えていると、それを見透かされたのか、家茂の空いている方の手が夜着の袂から入ってきた。
 胸の先端の敏感なところを触られて、思わず身体がびくっと反応してしまう。同時に、くぐもった声が漏れた。
 至近距離にある彼の顔を見ると、少年の面影の残るその顔にしてやったりといったような笑みを浮かべている。
 その顔を見ていると、胸の奥がきゅんと鳴る。
 もしかして、これが母性本能というものだろうか。

 柔らかい褥の上に身体を縫い止められ、帯を解かれた。
 恥じらう暇もなく胸に顔を埋められ、先端を舌で転がされるともう他のことなど考えられなくなる。
「うえさま」
 自分から足を開き、芳醇に濡れた秘所に将軍の手を誘う。
「早く、ここに……」

「痛くはないか」
 濡れそぼったそこに腰を進めながら優しい声音で聞いてくる家茂に言葉で応える代わりに、その背中に腕を回した。
 若く張り詰めた雄に奥まで押し入られ、口から吐息が漏れる。
 はじめてのときは痛いだけだったその営みにももうすっかり身体が馴染んでしまった。
 繋がりあったところから全身に這い上がる甘い疼きに我を忘れて酔いしれた。



 だらしなく脇息にもたれかかり、慶喜は盛大に欠伸をした。
「お方様!」
 お芳の怒号が飛ぶ。
「欠伸くらい自由にさせろよ。昨日もろくに寝てないから眠くて眠くて。さすが上様は若いなぁ」
 こいつ殴ってやろうか。
 袖の下でお芳が拳を握りしめる。
「まあお芳ったら。青筋が出てますえ」
 当たり前のようにこの場にいる美賀が細い指でお芳のこめかみに触れた。
 この人もこの人だ。
 急病に倒れ明日をも知れぬ命となった(ということになっている)慶喜と離縁して京の実家に帰ったということにはなっているが、それならば実家である今出川家の奥深くにいるはずで、どうしてここ二条城の奥向きで毎日毎日我が家のように寛いでいるのだろう。
 疑問の目を向けるお芳をよそに、美賀はぐてっと脇息にへばり付いている慶喜に向き直った。
「しゃんとしよし」
 手に持った扇で慶喜をつつく。
「眠い……」
「そんなん言うてる場合やありまへんやろ。もうすぐ新しい女中らが挨拶に来る頃や」
 言われて、慶喜は大きくため息をついてからいかにも億劫そうに身を起こした。
「わかった。行くぞ」
 立ち上がり、裾をさばいて歩き出す。
「もっと小股で!」
 その後を追いながらピシャリと言うお芳と美賀の声が見事に重なった。
「わかったわかった」
 渋々といった風情で女人らしい内股歩きに切り替える。が、ひどくもどかしい。
「慶喜はん」
 背後から美賀の声が飛ぶ。
「何だよ」
 振り返った慶喜の目を見て、美賀は言った。
「舐められたらあきまへんえ」
「……わかってる」
 元妻にそう返すと、慶喜は正面に向き直った。



「面を上げよ」
 上座に座り、慶喜は言った。
 その声に従い、華やかな打掛を青い畳に咲かせ平伏していた十数人の若い女人が一斉に顔を上げる。
 皆、武家風の装いに改めてはいるがその出自は武家であったり公家であったり様々だ。
 彼女らの支度金は大奥の費用から出ているというが、一体全部でいくらかかったのやら。
 将軍が新たに側室をかかえるとなれば、気は進まぬものの大奥に何も断りを入れないというわけにはいかない。
 京に側室を置く旨を江戸の大奥へ渋々伝えたところ、それではその側室の身の回りの世話をする者をということで見繕われたのが彼女達というわけだ。

「御目通りがかない、恐悦至極にございます。お方様」
 居並ぶ女達のうち、ちょうど真ん中にいる女が代表して口上を述べる。
 なかなか気が強そうな女だ。しかも美しい。
 入念に塗られた白粉と唇の紅が目にも綾だ。
 どちらかというと好みではあるのだがな。
 慶喜は心の中で呟いた。が、それはあくまで自分が元のまま男の身であったらの話である。
 それにしても、ここはさながら大奥だ。
 自然と肩に力が入るが、それを気取られないようできるだけさりげない風を装って慶喜は口を開いた。
「皆、よく来てくれた。側室とはいえ、私も上様にお仕えする身という点では皆と変わらぬ。あまりかしこまらず、仲良くしてくれると嬉しい」
 新しい女中達を見下ろし、にこりと微笑む。
「ありがたきお言葉にござりまする」
 彼女達はまた頭を下げた。
 鬢付け油でこれまた丁寧に整えられた彼女らの髱を見下ろしながら、慶喜は思う。
 これはつまり、そういうことだ。
 慶喜の側にいれば自然と将軍の目にとまる機会も増える。女中というにはあまりにもきらきらしい彼女達は要するに『あわよくば』を狙っているのだ。
 そしてそれは江戸の大奥の思惑でもある。
 大奥の息のかかっていない側室に権力を渡してなるものかという気概が彼女達と、そしてその背後にいるのであろう大奥の上﨟達からひしひしと感じられた。
 全く。今は横浜鎖港問題に専念したいときで女の戦いとやらを繰り広げている場合ではないというのに。
 とはいえ。
「面白くなってきたじゃねえか」
 彼女達には聞こえぬほどの小声で慶喜は呟いた。
 後でその言葉遣いをお芳と美賀にきつく叱られたことは言うまでもない。

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