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水月庵

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およし再び。1



まさかの女化なので苦手な方はお気をつけください…!




 盃に注がれた酒を飲み干した瞬間、体が熱くなった。熱い、いや、痛い。
「おまえら……酒に、いったい、何を……」
 盃を取り落とし、倒れこみながら、己の向かい側に座る二人の男に問い質す。
 彼らはまばたきもせず、じっと倒れこむ男ーー慶喜を見ている。
「何とか言えよ……、容保、春嶽……!」
 男達の名を呼ぶ。
 わからない。確かにこの二人とは仲良しこよしではないかもしれないが、幕政を担う者同士それなりに付き合ってきたはずで、盃に何か妙なものを混ぜられるような間柄ではなかったはずだ。
 だいたい、こんなことをしてこの二人に何の利があるというのか。
 まくし立てたかったが、上手く声が出ない。
 畳の上に倒れ、薄れゆく意識の中、二人が言い合う声が断片的に聞こえた。
「効果……確か……」
「性転換……秘薬……越前……蟹……雌雄……変え……」
「豚……効く……?」
「不明……試し……価値はある……」
 断片的というか、断片的ではあるのだが大事なところはだいたい把握できたような気がする。
 蟹。そうだ、越前の蟹は美味かった。
 そう思ったのを最後に、慶喜は意識を失った。






 目覚めるとそこはいつもの、慶喜が京での宿所にしている東本願寺の一室だった。
 確か昨夜はいい蟹が入ったと前の越前藩主松平慶永こと春嶽に誘われ、同じく誘われたらしい容保と三人で蟹を食べて、それで。
 思い出した。
 そこで一服盛られたのだ。
 だが自分は生きている。しかも、なぜか何事もなかったかのように宿所へ帰ってきて寝ていた。
 慶喜はむくりと起き上がった。
 さてどうしたものか。
 暗殺されかけたと思えば気は悪いが、何はともあれ自分は生きている。
 最大限に好意的に解釈すればあれは毒でも何でもなく、たとえば自分は蟹とは相性の悪い体質であっただけかもしれない。かなり強引な解釈だが。
 慶喜は腕組みをした。
 腕組みを……したのだが、何やら柔らかい違和感を覚え、首を傾げる。

 何だこれは。
 腕組みをしようとした手を自分の胸にやる。
 水風船のような感触が手に伝わる。
 何かある。
 絶対にないはずのものが……ある。
 ということは。
 慶喜は慌てて股座を探った。
 予想通りというか、何というか。
 背中を冷たい汗が伝った。
 ……ない。大事なものが、ない。
 昨夜の二人の会話が脳裏をよぎる。
「えっ待って」
 思わず声が出た。
 その声も明らかに昨日までの自分のそれではない。
 自分で言うのも何だが、なかなかに可愛い声だ。
「いやいや可愛いとかどうでもいいんだよ! 何してくれてんだあいつら!!」
 叫ぶと同時に襖が開いた。

「まずいですよ容保どの。見知った仲とはいえ女人の閨にずかずかと入るなど……」
「まだ女人と決まったわけでもございますまい。もしかしたら豚が転がっているかも」
 言い合いながら、犯人達が入ってきた。
「誰が豚だ。人をこんな美女にしやがって」
 奴らを睨みつける。

「一橋どの……なのですか?」
「明らかにそうでしょう。こいつ今しれっと自分のことを美女と言いましたよ」
 やや尻込みをしている春嶽と、ここはおまえの家かと言いたくなるくらい無遠慮に入ってくる容保。
「とにかくわけを話せ」
 殴りかかりたくなる気持ちを抑え、慶喜は問い質した。
 何の気なしに髪をかきあげてみれば、髪まで艶々と伸びている。
 春嶽と容保は慶喜の布団の脇に腰を下ろした。
「端的に申し上げると、上様のお世継ぎの問題です」
 春嶽が言う。
「上様はまだお若く、お世継ぎがいらっしゃらない。我々幕閣一同、一日も早くお世継ぎを、と願うております」
「そんなもの……上様が江戸へお戻りになれば宮様との間にいくらでも……」
 慶喜がそう言えば、容保がずいと膝を進めた。
「おまえは本当にそれでいいと思っているのか」
「いいも何も……」
 言いたいことは何となくわかる。
 徳川将軍は代々京の公家から御台所を迎えてきた。が、その御台所の腹から産まれた将軍はいない。
 それは、将軍の外戚となって武家の世界で公家が権勢を振るうという事態を避けるためであり、そういった事情は今も変わりない。
 公武合体のために内親王を御台所として迎えはしたが、その腹から次代の将軍が産まれるという事態は必ずしも歓迎されるものではないのである。

「京の皇室との結びつきのために皇女を迎える。だがお世継ぎは他の、適当な、いや失礼、しかるべきご側室との間に。そういう筋書きだったはずです。ですが上様は」
 春嶽の言葉を引き継いで慶喜が言う。
「宮様に恋に落ちてしまわれた。そして、他の女人になど一切目を向けない」
 言いながら、若干胸が痛んでしまうのは気持ちまで女々しくなってしまったせいだろうか。

「そこへ彗星の如く現れたのがおまえだ」
 が、彼らの勢いはどうにも慶喜が感傷に浸るのを許してくれない。
 食い気味に容保が言った。
「……は?」
 思わず慶喜の目が泳ぐ。
「気づいていないとでも思っていたのか?さすがにあれ程互いにこそこそ通いつめていれば誰でも気づくだろう」
「いや、その」
 確かに、まあ将軍とは何というか、ふしだらな関係というか、そんな感じではあるが。
 顔を赤くして一人あたふたする慶喜に、春嶽が勢いよくがばりと頭を下げる。
「頼む、一橋どの! この通りだ! 幕府のためにお世継ぎを産んでくれ!
 貴方が将軍になる姿を見られぬのは名残惜しいが、貴方の産む御子ならば私も力を尽くして守り育てることができると思う……!」
「はぁ!?」
 慶喜は素っ頓狂な声を上げた。
 産む……。
 腹に手を当てる。
 ここに、子供ができる……。
 自分は悪夢でも見ているのか。



「さ、殿様……いえ、もう『お方様』でしたわね。お方様、お化粧をいたしますのでこちらへ」
「うん」
 促されるままに、指定された場所へぎこちなく腰を下ろす。
「お方様はもともと綺麗なお肌をしていらっしゃいますので白粉はほんの少しでよろしゅうございますわね」
 楽しげにそう言いながら、若い女中が白粉用の刷毛を手に取った。
「そ、そうか?」
 こういったやり取りにいまだ慣れぬ『お方様』の困惑をよそに、肌に白粉がごく薄くほどこされてゆく。
 その間に、後ろに回った他の女中が髪を梳る。
 鏡の中で徐々に仕上がってゆく美女の姿を、慶喜はどこか他人事のように見ていた。

「それにしても」
 刷毛を手にした女中がやにわにニヤッと人の悪い笑みを浮かべる。
「な、何だよ」
「いいえ、運命というのはまことに奇妙なものだと思いまして。火消しの娘だった私が今や上様のご側室の侍女だなんて」
 相変わらず彼女はニヤニヤと笑っている。
 たまらず慶喜は顔を逸らした。
「いやその……おまえは江戸に帰ってもよかったんだぞ、別に。その、何というか……俺がこんなことになってしまった以上、もうおまえは一橋慶喜の愛妾ではなくなったわけだし」
 そう。火消し小町らしく勝気な目をした彼女はもともと慶喜の愛妾だった女である。名はお芳という。
 伏魔殿とも呼ばれる京での暮らしに少しでも潤いを与えてほしいとわざわざ江戸から連れてくるほどのお気に入りだったのだが、それがまさかこんなことになるとは。
 これではとても合わせる顔がないと文字通り顔を逸らす慶喜の頬を、お芳の小さな手が捉えた。
「動かないでくださいませ。お化粧ができません」
「でも」
「『でも』じゃありません。私を江戸に帰してどうなさるおつもりです? 気心の知れぬ女中達に囲まれて慣れない女生活など、殿様、いえお方様には無理です」
 断言されてしまい、慶喜は押し黙った。
 確かに、その通りかもしれない。
 何も事情を知らない女中達に取り囲まれながら、さも生まれたときから女でしたという顔で側室生活など、考えただけで背筋が凍る。

 お芳はにこりと笑った。
 今度はからかうような笑みではなく、実に頼もしげな笑顔だ。
「心配なさらないで。私は結構楽しんでいますから。
 初めて打掛をお召しになった日、袴と同じ要領で歩こうとなさって三歩と歩かずすっ転んだお方様が何とかそつなく歩けるようになったときなど、本当に雛鳥の巣立ちを見守る親鳥のような気持ちで……」
「やめてくれ……」
 実は、そのとき打ち付けた膝の痣がまだ少し残っている。
「それにしても、お顔の造形はほとんど変わってらっしゃらないのにこうも違和感なく、女人らしくなられるとは。お肌も心なしかしっとりと柔らかくなったような」
 刷毛を置き、白粉の仕上がりを確かめながらお芳が言った。

「それはきっと性別が変わったからだけやないわ。殿方に愛されると自然と肌も潤ってくるものなんえ」
 急に聞こえてきた雅な上方ことばに、慶喜とお芳は声のしたほうをぱっと振り返った。
 見れば、開いた襖の向こうから一人の女人がひょいと顔を覗かせていた。
 他の女中達がそつのない動きで頭を下げる中を淡い藤色の小袖を身にまとったその女人は悠々と進み、慶喜の隣に腰を下ろした。
「ま、そういうことやさかいわたくしの肌は常にかさかさでしたけれど」
 彼女は慶喜の頬をツンとつついた。
「あらご簾中様、おはようございまする」
 お芳が軽く手をついて頭を下げる。
「ま、お芳ったら。もうわたくしはご簾中やありまへん。肝心の殿がこない可愛らしゅうなってしもたんやし」
「美賀」
 また来たのか、と言わんばかりの口調で慶喜が女人の名を呼ぶ。
 他でもない、慶喜の正室である。いや正室『だった』。

 美賀は鏡台の傍らに並べられた簪の中から銀で繊細な装飾が施されたものを選び、慶喜の髪に挿した。
 が、思っていたのと違ったのかすぐにそれを引き抜いてしまう。
「やっぱり鼈甲の花笄のほうがええやろか」
 美賀がそう言うと、お芳をはじめ女中達がわらわらと集まってきてこっちの簪のほうが、いやそっちのほうが、などときゃっきゃと盛り上がり始める。
「何でもいい。というか簪はなしでいい。ただでさえ頭重いし」
 げんなりとした口調で慶喜は言った。
 男だった時代はさっと鬢を整えて登城日は裃、そうでない日は羽織袴に着替えるだけだったのにこの長い支度時間は一体何だ。
 どれだけ美しく装っても見せる相手は一人だけだし、そもそもその相手に会えばすぐに簪も何もかも外すというのに。
「だいたいおまえはなんでそんな我が物顔でそこにいる、というかなんで京にいるんだ」
 力なく問うた慶喜に対して、美賀はしたり顔だ。
「わたくしはもともと京の女なんやし慶喜様と離縁になったからには京の実家へ戻ってくるのは当然のことやおへんか。
 ほんで、気楽な出戻りの身になったことやし暇つぶしも兼ねて上様の寵姫のご機嫌伺いなどして過ごしてる、いうわけや。何かおかしいところでもありますやろか」
「なるほどな。というか」
 いまいち納得はしていないものの一応頷きつつ、ふと思いついたように慶喜は言う。
「どないしはりました?」
 美賀が小首を傾げた。
「いや。おまえとこんなに喋ったのは、思えばこれが初めてなんじゃないかと思ってな」
 特別いがみ合っているわけではないものの、決して仲睦まじい夫婦ではなかった。それが今になって何も気負うところなく語り合うことができるようになろうとは。皮肉だ。

 女達に着せ替え人形にされて遊ばれることにひたすら心を無にして耐えることしばらく。急に部屋の外が騒がしくなった。
「まあ上様。なりませぬ、お方様はまだお支度中にございますれば……」
 襖の向こうから女中の慌てた声が聞こえる。
「政務へ向かう前に会いたいのじゃ。通してくれ」
 女中の声にかぶせるようにそう言った、まだ少し少年らしさの残る声。
「構わぬ。お通しせよ」
 気がつけばそう言っていた。

「上様!」
 姿を見せた将軍家茂に慶喜は駆け寄った。

「何やわたくしが来たときと全然反応がちゃうやないの」
「美賀様、抑えて」
 気色ばむ美賀とそれを押さえるお芳をよそに家茂と慶喜は盛り上がっている。

「女中達とは仲良うやれておるか?」
「はい。今は皆に簪を選んでもらっておりました」
 新しい生活には馴染んでいるかと気遣う家茂に、慶喜はにこりと笑って答える。

「……先程まであんなに嫌々やったのに。早くも女人の嫌なところを身につけてはりますなぁ」
「いますわよね、殿方の前だと途端に態度の変わる女」
 美賀の言葉に、今度ばかりはお芳も大きく頷いて賛意を示した。

「上様はどれがお好きです?」
 家茂の手を取り、先程まで自分のいた鏡台の前に導きながら、漆塗りの盆の上に並べられた数多の簪を指し示す。
「そうだなぁ……」
 慌てて将軍が座るための茵を用意しようとする女中を、すぐに出るので良いと手で制してから、家茂は畳の上に腰を下ろした。
「この銀のものなど良いかと思ったが、どうもそなたの華やかさに簪が負けてしまうな。もう少しきらびやかなものを誂えさせるか」
「新しいものなどもったいのうございます」
「そう言うな。そうだ、ついでに新しい打掛もつくらせよう」
 美賀とお芳が生温かい視線を送っているのを知ってか知らずか、二人は相変わらずの仲睦まじさである。

「さて。それではわしはそろそろ行くか」
 新しい側室とのひとときをしばし楽しんだ後、将軍が腰を上げる。
 慶喜がその着物の袖をちょんと引っ張った。
「どうした、寂しいのか?」
 家茂もまんざらでもなさそうである。
「それももちろんありますが、それだけでなく……」
 どこか歯切れの悪い側室に家茂は苦笑した。
「わかっておる。政局が気になるのであろう? この姿のそなたを表へ連れてゆくわけにはいかぬが、話し合いの内容は余さず伝えるし、そなたに断りなしに重大なことは決めぬ」
 慶喜の手を取り、家茂が言い聞かせるような声音で言う。
 その言葉に頷きつつ、慶喜は相変わらず家茂の着物の袖をつまんだままだ。

「ああもう」
 たまりかねたようにお芳が割って入った。
「上様を困らせてはなりませぬ。お方様はこちらで私達と遊びましょうね」
 言いながら、『お方様』を将軍から引き剥がす。
「なんだよ人を幼児みたいに」
「幼児みたいなものでしょう。さ、上様。行ってらっしゃいませ。お方様のことは私達がきちんとお預かりしておきますから。ほらお方様」
 お芳に促され、慶喜も姿勢を正すと静かに頭を下げた。
「行ってらっしゃいませ、上様」
「うむ」
 三つ指をつく慶喜に頷き返し、家茂は襖の向こうへ消えた。
 こうして家茂を見送った後は、夕刻になって彼が再び姿を見せるまで自由時間だ。
 複雑な政局について心配事は絶えぬとはいえ、幕閣や公卿と自由に会えぬ身となってはできることも限られている。
 今日は何をしようか、と慶喜はため息をついた。





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