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水月庵

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クズ達のラブストーリー


 大仰な大垂髪に十二単。絹の塊のようなその衣装はちょっとした甲冑くらいの重さだそうだ。
 この日のために厚く塗りたくられた白粉は肌本来の赤みや柔らかさといったものを一切合切消し去っていて、いっそ不気味ですらある。
 この作り物のような女が僕の妻だ。
 緊張しているように見えなくもないその横顔を一瞥したきり、僕は彼女への興味を失った。
 視線を前に戻す。
 高砂に程近い場所に彼はいた。
 直垂を着て、隣に座る彼の兄と談笑している。
 ひとつ違いの僕の叔父。
 とても叔父さんなんて呼べやしない。今日も彼は綺麗だ。
 いつもの伊達姿も好きだけれど、こうしてきちんとした格好をした彼はこう、何というか、とても色っぽい。
 ああ、じゃあやっぱり彼にはいつもの姿でいてもらわないと。ただでさえこの人は身持ちが悪いんだから。
 じっと見ていると、さすがに彼も気づいたらしい。ちらりと僕を見た。
 束帯を着て高砂に座る僕に流し目をくれ、にやっと唇を吊り上げる。
 ああ、早くその唇がほしい。もうそれしか考えられなかった。






 寝間着の上に一枚羽織っただけの姿で夜の西ノ丸御殿を抜け、吹上の御殿へと向かう。一門の屋敷が並ぶうちのひとつ、水戸の上屋敷。手燭の灯りを頼りに勝手知ったるその屋敷の長い廊下を進み、目的の部屋の襖を開けると、艶やかな黒が目に飛び込んできた。
 その黒髪を揺らし、彼がゆっくりと振り返る。
 小さな口が蠱惑的に歪む。
「鶴千代」
 彼の幼名を呼び、部屋に入るなりその身体をかき抱いた。
 しっかりと筋肉のついたその身体はもっちりとした弾力で、しかしやわやわと僕の腕に馴染む。
「また来たの? 竹千代」
 新婚のくせに、と切れ長の目を猫のように細めて彼は笑った。
「妻とはとっくに壊れてるよ。何せ僕は初夜をすっぽかしたんだから」
 そう。僕はあの十二単のお人形さんに指一本触れていない。いや、一応一瞬同じ布団に入ったことはあるからそのとき指一本くらいは触れ合ったかもしれないけれど。
 あの婚礼の日、初夜の床を抜け出して向かった先もこの男、鶴千代──松平頼房の閨だった。

「あの夜は燃えたなぁ。初夜をほっぽり出した花婿に抱かれてるんだと思うとあのときは俺、後ろだけでイっちゃった」
 僕の腕の中で鶴千代がくすくすと笑う。首筋をくすぐるその吐息は脳が痺れるほどにかぐわしい。
 妻だって鶴千代だって一皮剥けば同じような肉の塊、しかも鶴千代と違って妻、いや妻に限らず女には子を孕む胎があるのに、どうしたって僕の心と身体が求めるのは鶴千代なのだ。

 鶴千代の身体を布団に押し倒し、上に覆い被さって口を吸う。鶴千代が舌を絡めてくる。鶴千代は口も小さければ舌も小さいように思う。傲岸不遜だとかそんな言葉がよく似合う彼の、その意外な慎ましさが逆に淫靡だ。
 口を離すと、彼と僕の舌先を透明な糸が結び、やがてそれは粘性を持ちながら鶴千代の下唇に垂れた。
 その雫を指で拭う。すると彼はその僕の指先をチュッと吸った。
 かわいい。世間ではいろいろ言われている鶴千代だが、僕はこの叔父上が最高にかわいいと思う。

*****

「……見るなよ」
 ことが終わったあと、寝そべる僕に背を向け、布団の上に座った鶴千代が背中越しにじろりと睨みつけてくる。
「はいはい」
 ごろりと身体の向きを変え、彼の後始末が終わるのを待った。その隙に自分の分も懐紙で拭う。
「終わった?」
 そう問いかけると彼が頷く気配がしたので、もう一度彼に向き直り、布団の中に引っ張り込む。
「まだ出てきそうな気がする……」
 居心地が悪そうに鶴千代は言った。
「ごめんね。出しすぎちゃった」
 全然悪いと思っていないことはたぶん彼にも伝わったことだろう。僕の腕の中で愛しの叔父上はため息をついた。
「もったいない。俺の中じゃなけりゃあの中のどれかが四代将軍になったかもしれないのに」
 僕は笑った。
「いっそ鶴千代が産んでくれたらいいんだ」
「馬鹿か。俺とおまえの子供がまともだと思うか?」
「思わないね、全く」
「だろ?」
 鶴千代がこつんと額を合わせてきた。かわいい。

「なぁ」
 鶴千代が言う。
「何? 君に搾り取られて疲労困憊なんだ。寝かせてよ」
「……そんなに孝子姫は嫌か? 美人じゃないか」
「君、婚礼の席で花嫁の顔をじろじろ見てたの?」
「そりゃもちろん。俺は三度の飯より女が好きだ」
 だからって人の妻を品定めするなよ。それに君は男も三度の飯より好きだろう。どうせ君の家臣は全員穴兄弟なんだろ。
 僕は鶴千代を抱き寄せた。
「そうだよ。美人だよ、僕の妻は。……だから尚更孝子はかわいそうだ。
 嫁いだ相手が僕じゃなけりゃ幸せになれただろうに」
「将来の将軍様に嫁ぐことが不幸?」
 鶴千代が笑った。
 それはそうだ。僕はおかしなことを言っている。僕は近い将来天下の主になる。天下人の正妻になることが不幸だなどと。
「君が来てくれるんなら全力で幸せにしたけどね」
 言いながら、天下人の妻はともかく当の天下人すら幸せには程遠いのではないかと思った。
 まあ今の天下人たる父上は幸せだろう。名だたる大名を膝下に跪かせ、帝という権威すら踏みつけ、要するにやりたい放題だ。天下は父上の手の上で、あの人の好きなように踊る。
 そして何より、父上は正妻である母上を愛している。そして母上から愛されている。僕には関係のないところであの二人はずっと幸せに暮らすことだろう。
 それにひきかえ。
 僕は鶴千代の唇をなぞった。
 何? と鶴千代が首をかしげる。
 僕は本当に愛する人を妻と呼ぶこともできず。そして君を自分一人のものにしておくことすらできない。
 僕を好きだと言いながら、これからも君は数多の女達に子を産ませ続けるんだろう。君はそういう人だ。
「君がもっと貞淑だったらなぁ」
 ぽつりと呟いた僕に、それなら俺はやめとけと君は笑った。

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