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水月庵

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時にはゆっくりと

鎌足×中大兄(葛城)

「皇子、クマがすごいですよ」
 夜、鎌足の邸を訪れた葛城皇子があまりにも疲れた様子だったので、鎌足は思わず言ってしまった。
「そんなにすごいか?」
 葛城は苦笑する。
 もともと白皙の整った顔立ちであるだけに、より一層痛々しく見える。

「私と仕事の話をするのも大事ですが、少し休まれては?」
「いやでも昨日休んだばかりだしな……」
「そういえば昨日は早々に仕事を切り上げてお帰りでしたね」
「そうなんだが」
 葛城は俯いて眉間を揉んだ。彼が疲れているときによくする仕草である。
「とりあえず中へどうぞ」
 鎌足に誘われて、葛城は家の中へ入り、勝手知ったる他人の家、とばかりに定位置に腰を落ち着けた。

「皇子、本当に大丈夫ですか」
 話をしている間も、熱心に議論を交わしてはいるものの、時折目を押さえたり、欠伸をかみ殺すような仕草をしていた葛城。
 議論が一段落したところで、鎌足は気遣わしげに問うた。
「ああ、実は昨日はあまり眠れなくてな。宅子のところへ行ったんだが」
 葛城がため息まじりに言う。
 宅子(やかこ)とは、伊賀氏の娘で、葛城の妻の一人である。元は采女であったという経歴から分かるように、宮中でも評判の美女で、その美貌は息子を一人産んだ後も健在だという。
「あ、お楽しみですか」
 茶化すようにニヤニヤ笑う鎌足に、葛城はもう一度深いため息をついた。
「そんなわけないだろ……。
 おまえ、魔の二歳児って言葉、知らないのか。
 二歳男子ってもう獣だぞ」
 なるほど葛城と宅子との間の子、大友は確かに今年二歳になる。
「そんなもんですか? うちの子は特に反抗期なんてなかったですよ」
「それ絶対後から来るぞ。知らないからな、思春期に盗んだ馬で走り出す子になっても」
「ていうかご子息のお世話なら乳母がいるでしょうに。母君の宅子さまだって」
 何も皇太子御自ら育児に参戦しなくても、と言う鎌足に、葛城は遠い目をして笑った。
「もう乳母も宅子もお手上げなんだよ。
 それに大友も、久しぶりに父親に会えたって、もう騒ぐ騒ぐ」

 他愛も無い話をしている間も、葛城は相当辛そうだ。
「皇子、今日は仕事の話はやめましょう」
 鎌足は葛城に近づく。
「え?」
「寝ましょう」
 そう言うと、鎌足は葛城を立たせると、その背中と膝の裏に手を回して抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこである。
「え? おい鎌足」
 いきなり抱き上げられた葛城が、慌てたように目をしばたたかせる。
「重っ」
「何だと?」
「いや、皇子も大人の男ですもんね。いくら細いとはいえ。
 女にするようにはいかないか」
「女にもこういうこと、するのか」
 鎌足の腕の中で、葛城が怒っているような、悲しんでいるような顔をする。
「そりゃ私にも妻だっていますからね」
 何でも無いことのように言う鎌足に、葛城がより一層険しい顔になる。
「拗ねてますか?」
 鎌足はからかうように言った。
「別に」
 先程は自分から育児疲れの話をしていたくせに、やはり葛城は皇子様だけあって、たまにわがままである。

「鎌足、今日は疲れてるから、その……そういうこと、できないぞ」
 一転して申し訳なさそうな表情になる葛城に、鎌足は思わず吹き出した。
「うっせぇ。人を性欲の固まりみたいに言いやがって」
 急にぞんざいな口調になる臣下に、葛城は機嫌を損ねるどころか、どこか嬉しそうだ。
「あ、素の鎌足だ」
「いいから寝るぞ」
「うん」
 まるで少年のような無邪気な笑顔で葛城は頷いた。

 鎌足はお姫様抱っこのまま、葛城を寝室まで連れて行った。
 葛城の身体を寝台の上にそっと下ろし、その隣に自分も横になる。
「ほら腕枕」
 言いながら、葛城のほうに腕を伸ばす。
 葛城は、その腕に遠慮がちに頭を乗せた。
 やがて、静かな寝息が鎌足の耳をくすぐる。
 空いたほうの手で、鎌足は葛城の頬を撫でた。
 そして、心の中で呟く。
 ……くっそ、何なんだよこの可愛い生き物……



 次の日。
「お、今日は皇子様の体調もご機嫌も良さそうだな」
「だな」
 官人達がひそひそと囁き合う。
「あれ、でも何か内臣様の様子が……」
 鎌足は渋い顔で左腕を擦っていた。
 腕枕なんてするもんじゃねぇな、と心の中で呟きながら。

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